福岡ファイナルが終わって
福岡で行われていた、グランプリファイナルは、浅田真央選手の「スマイル」で幕を閉じた。
今回の「スマイル」は、NHK杯でのものと比較すると、格段に素晴らしいものだった。
その差はどこから生まれるのか。
武道でもどんなスポーツでも、また競技でも、身体を動かすことで、それが成立する。
当然、そこにはレベルがある。
身体技術的に未熟で出来ない事、失敗することがある。
その場合、身体技術を習熟させて、という方法が第一だ。
それが出来なければ、その中味としての雰囲気や、意識操作での表現を作り出すことは出来ないからだ。
オリンピッククラスの選手が、競技で実力を出せない時がある。
もちろん、そこには体調もあるだろう。
しかし、一番の原因は身体技術ではない。
そのクラスの人達は、身体技術の峠を無限に越えてきた人達ばかりだからだ。
体調を狂わせるのも、実力を発揮できないのも、全ては予期せぬ出来事、つまり、アクシデントが原因だ。
しかし、大方の見方は、失敗した結果のことをいう。
つまり、身体が歪んでいただの、軸がブレていただの、脇が締まっていなかっただのだ。
そんなことは、素人が見ていても分かる。
だから失敗したのではなく、すでに失敗しているから、つまり、アクシデントの影響が残っているから、その姿勢になり失敗したのだ。
どうも人は、気分や精神面を重要なことだとは捉えていないような気がする。
たとえ未熟な技術でも、気持ちに勢いがあったり、気分がノッテいたりすると、とんでもなく良い結果を出すことがある。
その典型が、色々なジャンルの子供達だ。
しかし、その時も、姿勢が良かっただの、とにかく上っ面の見えることを褒め称える。
そういったシーンを見ていて、「こいつら馬鹿か」と何時も思う。
身体への現われは全て、気分や目的や目標といった、言葉化は出来ても、実際として目に見えない代物がリードしているのであって、身体技術がリードしているのではないのだ。
日常で言うと、歩くという技術が、仕事に向かわせているのではないだろう。
仕事に行く、という意思が歩くを導き出しているのだ。
もちろん、それらは交互に現れることもある。
つまり、身体技術が気分をリードすることもあるということだ。
その事で、更に身体技術のレベルが上がる、という交互だ。
福岡で行われたフィギアスケートのグランプリファイナルでは、その事が如実に出ていた。
殆どの選手がミスをした。
浅田選手も羽生選手も、とにかく全員ミスをした。
エキビジョンでさえ、失敗した選手もいた。
それらは何だ。
身体技術の甘さなのか。
誰が見てもそうではないことは分かる。
女子選手たちは、インタビューで浅田選手が語っていたように、全員浅田選手よりも若い。
14.15歳の選手もいた。
子供だ。
彼女達は子供だが、勝ち抜いてきているれっきとした世界レベルの選手だ。
しかし、それと気分や精神のバランスは、まだとれていないのだ。
つまり、身体技術として世界レベルだが、気分や精神はまだ幼いということだ。
だから、一寸気分に引っ掛かることがあれば影響されるのだ。
そういった、一寸したこと。
自分が作り出している一寸したこと。
例えば、「成功させよう・失敗しないように」と言った過剰な思いが、影響した結果が、全員のミスに繋がったのだ。
もちろん、それぞれの一寸したことであって、それぞれはレベルが異なるから、一寸したことは全員全く違う。
もう一つ影響することがある。
それは観客の意識だ。
一人の選手がミスをする、続いた選手もミスをする。
そうすると、観客は「またミスをするのではないか」と思ってしまう。
その事で、何かしら観客がざわついてくる。
それがまた選手の集中力を妨げることもあるのだ。
だから演技開始の掴みが大事なのだ。
その観客の影響を受けない為に、掴み、つまり、ざわついた観客を集中させる、という技術が絶対に必要なのだ。
もちろん、それは自分自身の迷いをリセットさせ、演技に集中させる役割でもある。
そんなことをコーチ達は指導しているのだろうか。
あのパトリック・チャン選手でさえ、ミスをした。
それは、前に演技した羽生選手の影響だ。
しかも、翌日のフリーまで引き摺ってしまった。
意識とはそれほどやっかいな代物なのだ。