日本語に感動した

「日本語っていいですよね。こんなに良いとは思っていなかった」
今日の上野鈴本演芸場での、喫煙タイムの一時だ。
40代の男性が、連れの人と話していた。
寄席に来るのは、二人とも初めてで、話芸の面白さと日本語の表現力の豊かさに感動していたのだ。
「残して行って欲しいですよね」
私も会話に加わり、感動を共有した。
上方落語は、中学生の頃よく聞きに行った。
夜7時を過ぎてからは、格安料金になったり、早朝割引になっていたりしていたので、行きやすかったからだ。
だから、お亡くなりになった桂枝雀師匠が、まだ桂小米で出ていた当初からファンだった。
江戸落語は、余り耳にした事がなかったので、たまに演芸場に足を運ぶ。
今日は、林家正蔵師匠が出ていた。
さすが掴みはうまい。
しかし、じっくり落語や講談を聞くと、その話芸の難しさをつくづく知る。
新作というか、現代というか、そういった落語は、スッと流れるが、古典はやはり難しいのだろうと感じる。
いずれにしても、冒頭の日本語そのものが、練られて観客に届けられる。
抑揚、間。
今だから分かる難しさだ。
中学の茶話会で落語をやった。
文字通り「やった」だ。
そんな僅かな体験が、表現の構造を解くカギのヒントになっている。
色々なジャンルの表現者達は、色々なジャンルを見に行ったり、聞きに行ったりしているのだろうか。
想像力が貧困だから、直接役に立たないものは「役に立たない」と思うのだろう。
全て直接役に立つ。
全て自分自身に置き換える事が出来る。
役に立てられない自分を嘆け。
鈴本演芸場を後にして、上方落語を改めて聞きに行きたいと思った。

Follow me!