限りがある

大方の人は、算数ではつまずかなかったのだろうか。
私自身は、さほどそのことが記憶に無い。
九九を覚えるというのは少してこずったような思い出は有る。
愚息が小学1年生に入学し、算数でてこずった。
足し算だ。
これはまずいと思った。
少々のことは、私自身が勉強を嫌いだったから、気にもしていない。
しかし、足し算が出来なかったらまずいと思った。
そこで、色々と考えた末、1+1から徹底的にやり直す事を考え、毎日足し算の問題を作ることにした。
何カ月もそれを繰り返した時、義弟がそのやり方は公文式というのと同じだよ、と教えてくれた。
早速、近くの街に行き公文式の教室を見付けた。
山から通う訳にはいかないので、そこで1カ月分まとめと問題集をもらい、やらせることにした。
何でも数だ。
それで算数はクリアしていった。
つまり、何を言いたいのかと言えば、自分一人で出来る事、教える事が出来るのは僅かだということだ。
それよりも、自分が考えるよりも、もっといい方法なりがあれば、それに任すことだ。
自分でやれる限界というのを知らなければ、人生徒労に終わる。
教えるのも同じだ。
自分の教えられない事は、教えられる人に任すのが一番早い。
だからこその専門家だ。
自分の限界など、若い人は体験が少ないので何とも言えないが、我々のように年を取ると、そして色々な体験をしていると、これは出来ないということが分かる。
だから、そこには手を出さないようにしている。
教室やワークショップでは、そういった話をする。
どうしてワークショップに人が沢山必要なのか、それは、自分以外の人が、自分のマイナスを埋めてくれたり、教えてくれたりするからだ。と。
人との関係という言葉があるが、まさしく全ては関係なのだ。

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