ありがとう
バラエティ番組で、人助けをするのは、どこの国が一番か、という実験をやっていた。
もちろん、国によって治安が異なるから、一概には何とも言えない。
日本の若者が、お婆さんが信号を渡るのを手助けした。
おっちゃんやおばちゃんは、結構気軽に声をかけるが、若者はどうなのかな、と思っていた矢先だから嬉しくなった。
「若者凄い」と思った。
ただ、その後のコメントが頂けなかった。
真面目な顔をして「人を助けると気持ちが良いので、手助けをします」ということだ。
どうして、そんな余計な事を言うのか。
きっと、誰かに習ったのだろうと思う。
やはり手助けしたおじいちゃんは「手助けというより、身体に染みついたものだからさっと出るよ。マナーのようなものだ」と言った。
治安の良い日本なら、声をかけて当たり前だ。
私の住む田舎では、大方の子供は横断歩道を渡る時、自動車が止まると「ありがとうございました」と声を出し一礼する。
これも気持ちが良い。
しかし、それが子供から青年、成人となるにつれて、一切無くなる。
どうして?
「ありがとう」というのが、面倒なのか。
「武禅」では、関係性の稽古だから、そういったことを訓練する。
しかし、ある武禅参加者とカフェ等に行き、お金を払う時、オーダーした品物を持ってきてくれた時、「ありがとう」の一言が無い。
むしろ、うっとおしそうな顔をしている。
一体何の為の「武禅」かと思う。
稽古の為の稽古になっているだけで、日常生活の役に立たそうとはしていないのだ。