自己中万歳
長年、身体を使うことで何かをするということをやっていると、その練習の方法が見えて来る。
私にとってのそれは、中学の頃の器械体操であったり、ドラムであったり、現在の武道になる。
そして、全ての原点は独力で獲得してきた器械体操だ。
この時の過程が、練習を考える上での基本となっている。
また、動機や心理状態、精神状態といった、内面に関わる事も、ここが原点だ。
だから常に白紙に戻す事が出来るのだ。
昨日書いた「基本に戻る」は、色々な含みがある。
だからこういった、全体的な基本もある。
これを持っているから、挫折と言うことを知らない、とも言えるのだ。
がむしゃらな努力は、徒労以外の何物でもない。
努力をすれば出来る、と言う事など無い。
そんなことは、中学の時に気付いた事だ。
練習そのものは、がむしゃらにするのだが、問題はその内容であり方向だ。
しかし、その内容や方向が正しくても、いきなり正しい事に取り組めない。
一つ一つが「出来ない事」への挑戦だからだ。
ここを諦めてしまうのであれば、また、悩むのであれば、まずそのことに向いていないと諦めるのが良い。
悩むべきは、一応出来上がってからだ。
出来ないのに悩む事等何も無い。
練習が足りていないだけなのだから、練習を徹底的に、それは、朝起きてから寝て夢の中でも、ということだ。
私は、何かにつけてやりだしが遅い。
体操にしても中学に入ってからだし、ドラムも20歳前、武道は22歳頃だった。
だから、練習の方法を考え抜いたのだ。
実際的な時間は、私よりも先にその世界に入っている人に追い付く事は出来ない。
だから、質で上を行く事を最初から考えたのだ。
そういった、やりだしが遅いというハンディも、実は自分自身を奮い立たせる動機の一つになっている。
そんな自分を考えた時、一生という人生をただただ前に歩いているだけなのだな、と思う。
世間の人が興味を持っている事、価値観を見出していることなど、さっぱり興味も無い。
何がおもろいんや、と何時も思う。
そんなことより、自分で見つけ出した価値観や、何かに価値を見出す事の方が楽しいからだ。
これがほんとの自己中だろう。