NHK杯から

久しぶりに高橋大輔選手や浅田真央選手を見た。
思わずテレビの前で拍手をさせられた。
意気込みや、集中力に圧倒され、吸い寄せられたのだ。
フィギアースケートは、表現を考える上で勉強になる。
フィギアースケートはどんどん進化し、アイスダンス並みの、演技力を要求されるようになっている。
その目で見ると、高橋選手の演技は見事としか言いようが無い。
スケートをしているのではなく、演技が見えてくるからだ。
素人には分からないが、解説を聞いていると、相当高度なステップワークをしているという。
それは、観客の前で滑っている、というごく当たり前の事を自覚したのではないか、ということだ。
高度なスケート技術を、より見やすくする、その為の演技ということだ。
女子体操競技を見ていると、とってつけたような不自然な動きが随所に入る。
「なんのこっちゃ」と、その動きになると何時もそう思って見ているが、それと代わり映えしないフィギアースケートの演技風動きが、今までは多かった。
しかし、ここ最近、女子ではキム・ヨナ、男子では高橋大輔選手等が、一味違う演技を披露し、その事が高得点に結びつくようになっている。
技術で言えば男子の4回転のジャンプも、殆どの選手がやるようになっている。
つまり、時代と共に、どんどん進化していっている、ということであり、そのことを目の当たりに出来る。
もちろん、それが良いのか悪いのかは、門外漢の私には分からないが、確かに時間と共に価値観も動いているということだ。
女子の浅田真央選手も、数年前だったか昨年だったか、記憶が定かではないが、大きく進化したと思えた時があった。
それは、この高橋選手やキム・ヨナ選手とは、異質のものだった。
それを見ていて、これは難しい、つまり、その方向は一般の人にとって、見えにくいから評価されにくいという意味で、難しいと思ったのだ。
もちろん、浅田選手が、あるいはコーチ達が何を意図したのかは知る由も無い。
だから、全く見当違いの解釈なのかもしれない。
しかし、野次馬としてはどう考えようが自由だ。
しかし、もしかしたらキム・ヨナ選手の007の印象が、余りにも強く残っていた中での浅田選手の演技だったから、私がそう捕らえたのかもしれない。
その辺りは、自覚が無いのでどうとも言えない。
そういった事も記憶がある中での、今回のNHK杯の高橋選手は、やはりその路線での成長した演技を見せてくれた。
織田選手も最高の演技だった。
しかし、何か背中がこそばゆい感じは残った。
ここのこそばゆい感じは、ダンスの世界でも感じることと同じだ。
浅田選手のショートプログラムは、一味違った演技だった。
スケートの技術が見えながら、浅田選手の世界が見え出したのだ。
それは、当たり前の事なのだが、どう言葉にするかが難しいのでじれったい。
言葉を変えれば、高橋選手は演技が見えた。
キム・ヨナ選手も同様だ。
それは逆に言えば、高橋選手もキム選手も姿が見えないが、浅田選手は浅田選手が見えていた。
もちろん、高橋選手もキム選手も、演技の中に、あるいはその芝居の中に自分を置いているからだ。
だから、演技が際立ち、観客は魅了されるのだ。
その意味で表現力というポイントが高いのだろう。
この方向で勝負するなら、浅田選手は後発になるので難しい。
世界最高のスケート技術を持ちながら、この演技という点で加点されないなら、これ程悔しいことは無い。
トリプルアクセルが、どれ程高度なものかは分からないが、世界の中で浅田選手しか試合の場で成功させていないのだから、想像もつかない高級な技術なのだろう。
しかし、これも時間の問題だろう。
男子の4回転ジャンプの如く、後発の選手達が迫ってくるのは目に見えている。
浅田選手は今期のオリンピックで引退するという。
であれば、高橋選手やキム選手とは、全く異なった「表現」を世界に見せ付けて引退するのが、その花道に相応しいと思う。
世論は、キムの大人っぽいに対して、浅田選手は子供っぽいという言い方をしている。
もちろん、そうかもしれない。
しかし、逆に等身大という言葉を使うことも出来る。
その等身大を、より輝かせられることが出来、そのことが「表現力」というポイントを引き上げれば良いのだ。
その視点での、ショートプログラムは、浅田選手がエレガントさを手に入れだした事が見えた。
つまり、演劇のような演技を持ち込むのではなく、純粋にスケート技術を際立たせる為の技術の延長としての姿だったと言えるだろう。
浅田選手の等身大の進化に乾杯!

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