アスリート
出来ない事に挑戦する。
挑戦したい、というこころの欲求に従うほど、強く美しいものは無い。
自分を引っ張っていく力は、ここから湧いてくる。
周囲の雑音や騒音が、いくらあっても挑戦し「実現してやる」というこころは、それらを打ち消す。
男女を問わず、ほとんどのトップアスリートは、この精神を備えている。
だから、トップアスリートなのだ。
だから、過酷な練習であれ、なんであれそれを乗り越え向かって行けるのだ。
そして、その一途なこころが見る人に、美しさを生み出すし、感動を生むのだ。ひたすらゴールを目指し、ボールを追いかけるサッカー選手、バスケットの選手、バレーの選手。どれもこれも美しい。
そこには雑念の欠片も無いから、つまり、失敗したらどうしようとか、成功しなければどうしよう、というようなものが何も無いから、その力が発揮されるのだ。
もちろん、いつかのボルト選手のように、まさかのフライングで失格ということも起こる。
それは、悔いが残るだろうし、悔やんでも悔やみきれないだろうが、直ぐに意識を切り替えて、「であれば、どうするか」と、次の作戦を考え練習に励む。
それが強さでありトップアスリートたる所以だ。
挑戦していくこころが、その強さを生み出す。
人は、練習で出来ない事は、本番では出来ないという。
私もジャズドラマーの頃、先輩達によく言われた。
もちろん、間違っていない。
しかし、練習で8割の出来でも本番での、「よっしゃ~いくで!」という意気込みが、成功させることが多々ある。
当たり前の事だが、アスリートは練習が本番では無く、本番こそが本番だ。
練習は本番のシュミレーションに過ぎない。
決して練習の達人、楽屋の達人になってはいけない。
ワークショップでよく話す「ストレッチの達人になってどうするの?」だ。
一人で、あるいはグループで、コーチと共に黙々と練習をする。
その寂しい厳しい練習は、本番の場に出た時の、観客からの応援で一挙に吹っ飛ぶ。
そこでの高揚感、意気込み、観客を前にしたワクワク感。
まさしく非日常だ。
これらが、練習以上の自分を引き出す力なのだ。
だから、そうなる自分になったものだけが、本番という特別の場で華を咲かせるのだ。