身体技術

「これは身体の技術だから厳密にしなければ技術にならないよ」今日も、教室で話した。
当然みんなは頷く。
それは何に頷いたのかは分からない。
頷きは多分「そうだったんや」という頷きであって、技術ということに頷いたのではない。
それは、その後の取り組みを見ていたら見える。
もし、技術と言う事に頷いたのであれば、取り組み様が変わる。
あるいは、一寸落ち込む。
そのどちらかになる。
つまり、大方の人の頭はこの言葉を理解しているが、肝心の身体はそんなことを知らない。
というよりも、技術として指令を出す側の脳が知らないのだ。
知らないというのは、どういう指示を出せばよいのかを知らない、ということだ。
それは当然だ。
身体の運動を技術として捉えて、所作や習い事を習得した経験がさほどないだろうからだ。
言葉を聞く。
その言葉を自分の事として捉える。
これも誰でも理解出来る言葉だが、一体何パーセントの人が実際にそうしているだろうか。
どうも、「理解」ということ「理解した」ということで、その問題は終わらせているのだ。
だから、身体の技術云々は、ほとんど幻だということだ。
そういったことに視点を置いて、みんなの取り組んでいる姿を見ていると、何をしているのかが見えてこない事が多い。
何をしているのか、というのは、「何をしようとしているのか」で、自分が取り組んでいる要素が見えないということだ。
それに気付く為に、色々な角度から色々な言葉を引っ張り出す。
それによって、何かが見える人も出て来る。
しかし自分の持つ「思い」に熱中している人が殆どだ。
だから、身体技術という言葉こそあれ、それの実際は自分に対する根気と忍耐を持っていなければ、絶対にない。

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