技術は自分だけのもの

修理中の屋根は明日完成する。
…と思う。
天候の加減があるから仕方が無い。
ポリカーボネートの平板で屋根を作ったから、きっと部屋は明るくなると思う。
雨じまいさえ上手くいっていれば。素
人が簡単に加工できる材料バンザイだ。
それに道具の進化。
その意味では、そういったものが無い時代には、どれ程の工夫があったのかと思う。
以前「こころの象」を書いている時、宮大工の棟梁の本を読んだ。
そこには、道具の発達が建物を駄目にしたというようなことが書かれてあった。
確かにそうだろうと思った。
しかし、使い分けさえ上手くすれば、その頃あった技術も残ったと思う。
何でもかんでも、道具や材料に頼るから、その技術を使うものが無くなっただけだ。
日本でも火器を発達させていたら、刀は無くなっていたかもしれない。
あらゆる物事は、そんなものだ。
素人が使える道具や材料は、結局のところ素人の域を出ることは無い。
ドラムをやっていた頃、グリッチのスネアドラムを楽器屋が持ってきた。
「このスネア鳴らないから、晃君鳴らしてみないか」と。
何でも、数多くのドラマーたちがチャレンジしてきたスネアだそうだ。
誰も音を出せなかったので、たらい回しされたようだ。
私は「おもろいやん、やってみよう」とそのスネアを購入した。
1年2年と叩き込んだが、これという音にはならなかった。
そこで、奏法を変えて見ることにした。
それは強制的に変えざるを得ない仕掛けを、スネアにほどこしたのだ。
スネアのヘッドを一枚完全に切り抜き、もう一枚の裏側にボンドでくっつけたのだ。
そうすると絶対にヘッドは響かないから、音は出ない。
だから、奏法を変えざるを得ない。
それから3年。
そのスネアから、重厚な音が出るようになり楽器屋さんも喜んでいた。
もちろん、現在の色々な楽器は、そんな苦労をしなくても音は出るようになっている。
だから、私がその時に編み出した奏法など必要ではない。
しかし、私にとっては必要な技術であり、それをどんどん改良することで、技術を進化させていっている。
技術とはそういうもので、一度身に付けば剥がれ落ちることはないし、進化もさせることは出来るのだ。
しかし、道具や材料は壊れたら終わりだ。
そちらに舵を取ると、道具や材料の奴隷になってしまう。それがなければ出来ない、ということに。
9月に行った、東京と岡山のワークショップをやっとまとめました。
https://www.hino-budo.com/index.html
中央「お知らせ」から入れます

Follow me!