聞き分けなあかんで
言葉を組み立てて文章になる。
話し言葉も同じで、文章だ。
これらは、メールや紙面に表せば平面だ。
また、口から外に出せば並列で聞こえるし話す。
しかし、文章は構造的であったり、層構造になっている。
単純化して言えば、一つの言いたいこと、言うべきことを、色々な角度や視点を変えて言葉にする、と言うことだ。
だから、そこを理解していないと、話そのものの浅い深いが分からないし、当然、その人を理解することは出来ない。
それもあって、言葉を鵜呑みにするな、とアドバイスするし、直ぐに分かるなとも言うのだ。
宮本武蔵が「五輪の書」の中で、足使いの事にふれ「すたすたと歩むが如し」と表している。
何も知らない人にとっては、「ふ~ん、武道というのは歩くだけで良いのだ」と思うかもしれない。
競技をしている人なら、それでは遅いから攻められないし、相手の攻撃をかわせないと思うかもしれない。
しかし、色々な疑問は当然宮本武蔵にもあっただろう。
幾多の生死を賭けた試合で、勝ちを収めてきた武蔵が、そんな一般レベルの人が、疑問を持つようなことを書き残すだろうか。
それは有り得ない。
であれば、「すたすたと」というのはどういう事だろうか。
私はそんなことを探求している。
だから、余計に言葉というものと、実体ということに引っ掛かるのだ。
そこにある隙間、あるいは言葉とは全く違う実体。
言葉に振り回されるな、というのもそこから来た。
89回目の「武禅」レポートをアップしました。
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