使い分け

学校生活が優秀だった人ほど、人の言葉を鵜呑みにする傾向があるように思う。
言葉を信じてしまうのだ。
疑え、というほどのことではなく、裏を取れ、ということだ。
もちろん、他愛の無い雑談の中に混じる言葉のことだ。
裏を取る、というのは、当たり前の事だがその人に正面から聞く、というのではなく、その人の言葉の端々から、言葉の整合性を考えるという事だ。
ここでは「白」と言っているのに、後になって「黒」と言っている、というような、矛盾を見つけ出すのだ。
そして、それらはどんな組み立てになっているのかを、話の中から見つけ出す。
それが鵜呑みにしない、ということだ。
もちろん、自分の持つ社会性や知識が、話す人よりも狭かったり、浅かったりした場合は、その事を理解することは出来ない。
そんな場合は、その言葉を頭の片隅に置いておくのだ。
数十年もすれば、その事を理解出来るようになっているかも知れないからだ。
子供には成熟は無い、と書いたが、この場合の子供は「分からない」で片付けてしまう。
あるいは、「私とは違う」で片付ける。
だから、永久に成長などしないということだ。
他人の言葉は、当たり前だが他人の人生が作り出した言葉だ。
だから、自分の人生しか知らない自分には役立つのだ。
誰でも手に入れられる知識ではなく、その人個人だけが体験していることだからだ。
もちろん、言葉を信じるのは悪い事ではない。
但し、時と場合によるということだ。
また、無条件で信じるのと、信じたいから裏を取る、ということもある。
その時々で、それらを使い分けられる、ということも、大人の条件だろう。
89回目の「武禅」レポートをアップしました。
https://www.hino-budo.com/buzen5.html

Follow me!