殻を破ればこころは届く

「武禅」では、構えるなという稽古を徹底する。
構える、というのは、自分を鎧で覆うという事だ。
そうなると、意味の伝達は可能でも、一番大切な気持ちの伝達は出来ない。
つまり、言葉が記号化してしまい、本来の生きている言葉ではなくなるのだ。
言葉が機械音になってしまうということだ。
これほど、いらつく音は無い。
もちろん、他人に無関心な人はいらつかない。
もちろん敢えて、そうしている場合もある。
一々いらついていたら、その人の身が持たないからだ。
私は「何を喋っているの」と、時々聞く。
それは、この機械音だから、気になって聞き返すのだ。
その時、人は話した意味を説明してくれる。
そんな時「こら、あかんわ」と、直ぐにその人とは話を打ち切ることにしている。
また、構えてしまうと、それ自身が不自然だから、相手は確実に違和感を抱く。
しかし、構えているとそれも見えない。
だから、その構えの中で「どうして伝わらないのか?」と悩み、色々な手法を用いる。
もちろん、その色々な手法は、単に猿芝居にしか過ぎない。
と、相手からは、丸見えなのだ。
しかし、何時も書いているように、その事を指摘してくれる人はいない。
何か自分はおかしいのではないか?
そんな疑問、そんな問題を持った人が「武禅」に参加する。
参加した人達から、その構えを外す、あるいは殻を破ることに徹底的に挑戦するのだ。
今回は、中年の女性が一人の男性を応援していた。
本気だ。
どこの世界に、見ず知らずの人が、つまり、「武禅」で出会っただけの人に、本気になって応援することなどあるだろうか。
そんな雰囲気を作り出す場なのだ。
真剣な人の集まりは、ほんとに素晴らしい。
もちろん、その応援が空振りに終わることは多々有る。
それは、他人が本気で自分に関ってくれている、ということの価値を全く理解出来ないからだ。
子供なのだ。
それが構えや殻の正体だ。
89回目の「武禅」レポートをアップしました。
https://www.hino-budo.com/buzen5.html

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