気持ちが言葉を生みだす

■明日からは2年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方は是非参加して下さい。会場が広いのでまだまだ空きがあります!
http://workshop.digiweb.jp/

人間関係とか、人との応対、ということでは、様々な研修があり、様々な書籍も溢れている。
表情を作る教室まである。
しかし、そこに書かれてある言葉、あるいは、指導する話し方や表情は、全てあるものが抜けている。
それはもちろん「気持ち」だ。
もちろん、気持ちという言葉は沢山散りばめられている。
しかし、それはあくまでも言葉であって、気持ちは「思う」ことでも「考える」ことででも作り出されるものではない。
感性がその鍵を握っているのだ。
気持ちも無いのに、言葉だけを並べられたら相当違和感を感じる。
というよりも、それこそほんとにむかつく。
「私の態度が悪いのですか、それなら謝ります」
と口をとんがからかせ、上から目線の口調で私と同い年か少し年輩のおっさんが言った。
「おっさん、いい年をしてそんな喋り方はないやろ。ほんま腹立つで」
歪んだ口、不服そうな表情。
きっと、定年前の会社では役職にいたのだろう。
まるで、人との接し方を知らない。
そういった年配の人とよく出会う。
しかも東京が多い。
マニュアルはある意味では間違っていない。
それを使う人間がおかしいだけだ。
そして、その周囲の人が、そのおかしさを指摘しないのだ。
上から目線の口調だと指摘しても、それを自覚していないから分からない人が多い。
それは、上から目線の人の周りの人が、全くその人に無関心だから、それを指摘して貰えないのだ。
むろん、親兄弟を含めた周りの人だ。
その事で、きっとその上から目線の人は、人との関係で相当チャンスを失っているだろうと想像出来る。
何かに対しての気持ちがあるから、それに相応しい言葉が生まれ、態度が生まれ、行動が生まれるのであって、それらの逆はあり得ない。
しかし、現実にはあり得るのだ。
言葉も態度も行動も、全部別々に習えるからだ。
習ったことが出来れば、本当に人との応対が出来るとでも思っているのだろうか。
あるいは、気持ちを補えるとでも思っているのだろうか。
ワークショップや武禅では、そこを稽古していくのだ。
気持ちが湧き上がる、あるいは、感情が湧き上がるように稽古をする。
それらが、身体の中で、またこころの中で湧きあがってくれば、ある意味で言葉はいらない。
気持ち良く、人は人と関われているのだ。
明日から岡山でのワークショップだ。
この「関係性」を、色々な角度から攻めて行く。
会場が広いのでまだまだ空きがあります。
飛び込みでも大丈夫ですから、参加して下さい。
秋の「武禅」は10月12,13,14日です。
https://www.hino-budo.com/buzen1.html

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