感覚を遮ったら駄目
■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日
16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/2013TokyoWS.htm
視点を変えれば世界は変わるといった。
実は、その目を日常にも持ち込んで欲しいのだ。
折角、違う世界を見えたとしても、日常に持ち込まない限り、その視点を定着させることは困難なのだ。
つまり、視点というのもクセの一つだからだ。
日常でも、舞台を見るのと同じ視点を持つ。
つまり、この人は友達だ、この人は上司だ、同僚だ。
色々と名詞はあるだろう。
そこを「ほんとうにそうか」と疑う必要があるのだ。
ワークショップでは視点と同じく「感じる」というワークがある。
また、組んだ相手の人と、真正面から向かい合いをするというワークもある。
それは、自分自身の意志を明確に相手に向ける、ということだ。
そうすると、相手の人も、自分に対して明確な意思を持ち、関わって来ているのか、そうではないのかを感じ取る事が出来る。
その視点で、日常を過ごして欲しいのだ。
そうすると、自分が思っていたその人を、全く違うんだと発見できたりする。
もちろん、その事が良い悪いの話では無い。
社会では役割というシステムがある。
だから、別段驚く事は無い。
上司の役、同僚の役をしているのだと、思えば良いだけだ。
ただ、自分に対して明確な意思を持って関わってくれていない、ということだけだ。
もちろん、これは人生で、社会で重要なことだ。
そういった事は全て感性の役割だ。
決して判断する話では無いのだ。
もちろん、判断力がいらないのではない。
自分の固定観念が判断を下してはいけない、ということだ。
新しく感覚された事、体感された事を基本として、考え方を組み換え、そのご判断をするという順序だ。
例えば、犬を初めての道、初めての環境に連れて行ったらどうするだろう。
とにかくありとあらゆる場所に、鼻をくっつけ確かめて行くだろう。
それが動物の本能だ。
だから、その場所は新しい遊び場という、言語はないだろうが、そのような認識を持ち、安心するのだ。
つまり、感覚が先に有り、その後判断するということだ。
しかし、人は既に知っている事、つまり、習慣によって生活が出来るようになっている。
改めて、色々なことを考える必要はない。
だから、スムーズに生活が出来るのだ。
しかし、その事が、私たちの感覚を鈍化させているのは、間違いのない事実だ。
そこを取り戻そうというのも、ワークショップの目的の一つだ。
判断は間違っても、感覚は間違わない。
それは本能の働きの一つだからだ。
バレンシアまとめました
夏合宿まとめました
福岡ワークショップまとめました
沖縄ワークショップまとめました
https://www.hino-budo.com/index.html
中段お知らせから入ってください。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方はどうぞ!
http://workshop.digiweb.jp/