見る目を持つと世界は変わる
■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日
16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/2013TokyoWS.htm
「表現塾」を受け続けてくると、今まで「面白い・いいな」等と思っていた舞台が、まるでそうではなかったということに、大方の人が気付く。
「先生、見る舞台が無くなりました」と報告がある。
見る目、つまり、どの視点で見るのか、によって、面白くも見えるし、何やこれ?にも見えるということだ。
大方は、自分の思い込みを当てはめているだけだから、リアルに舞台を見ているのではない。
あるいは、舞台で展開される、ダンスの技術や演技の技術、あるいは、物語を見ているだけで、ダンスや演技、ダンサーそのもの役者そのモノは見ていないのだ。
その視点を徹底的に矯正する、というのも「表現塾」の目的の一つだ。
観客の見る目を育てる、観客の目がシビアになればなるほど、舞台は良くなる。
良くならざるを得ない。
観客のレベルと正比例して、舞台の質があるのだ。
身内や仲間内だけでしか価値の共有が出来ない、あるいは、まるで子供の学芸会的「良かったよ」連呼の、かばい合いの舞台など、自然淘汰されなければならない。
その意味で、見る目を養わなければならないのだ。
「見る舞台が無くなって来た」という人が増える事が大事だ。
見る目が無い、という点では日常も同じだ。
自分の持つ固定観念や思い込み、あるいは、夢を当てはめているだけで、現実そのものを見ていないことが多い。
昨日、フィンランドにいる武田さんと、3時間程話をした。
ヨーロッパでは「今を生きる」という言葉が、流行しているそうだ。
自分の持つ固定観念や先入観がある限り、今を生きることなど不可能だ。
結果として、今を生きている、にはなるが、主体的に今を生きることは出来ない。
それは自分を当てはめているだけだからだ。
ということは、今を生きる、今、というそのもの、その瞬間を感じる事等出来ないということだし、その瞬間の感じたことに幸福感を得る事等出来ない。
その瞬間は、確かに感じ取っているのだが、結局、自分の固定観念や思い込みに誘導されてしまい、その瞬間はまるで何も無かったように消えてしまう。
結局、幸せの青い鳥を死ぬまで探すしか無いのだ。
私流に言うと「死ぬまで言うとけ」だ。それが現在の舞台だ。
フィンランドの舞台では、作為的ではなく、自然な、というような言葉が席巻しているそうだ。
言葉だけが空を舞う凧のように、大きく飛び回っているが、実際は地上から飛び立つ事も出来なくてうごめいているだけなのだ。
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中段お知らせから入ってください。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方はどうぞ!
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