こころが響くと

■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日

16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/2013TokyoWS.htm

「表現塾」には、1対1で「声を届ける」というカリキュラムがある。
これは「武禅」での定番メニューの一つだ。
例えば、向かい合った人に「こんにちは」という。
ここで勘違いが起こるのは、「音が届く」ことが、声が届くだと思っていること。
つまり、「こんにちは」という声が聞こえたら、声が届くことだと思っているのだ。
そして、向かい合った人に「こんにちは」のようなジェスチャーや表情をする。
その事が「表現」だと思っていることだ。
確かにそれも表現には違いない。
しかし、それらは紛れも無く「その様な」ことであって、それではない。
そうなると、子供達の学芸会になる。
ただ、子供達の学芸会は、それはそれで素晴らしいものがある。
しかし、子供ではない私たち、つまり、年齢を重ねた人、少なくとも20歳を過ぎた人が、子供の頃のようなことをしているのは、あるいは、その延長に過ぎないようなことをやっているのはおかしい。
成人した人間なら、もう一段上のステップに上がらなければ駄目だ。
子供達の延長ではなく、飛躍した一歩だ。
今年の福岡のWSに、13歳の女の子が参加した。
普通は断るのだが、ダンスを子供の頃からやっているということでOKを出した。
その子は、この「声を届ける」は残念ながらどうにもならなかった。
子供だからだ。
もちろん、それは仕方の無い事だ。
大人の人を相手に、どんどんやるのだが、それこそ、子供騙しで話にならなかった。
時間が経つにつれ、組んだ人は怒りを露にしていた。
まだ、精神が成長していないから、こうすれば大人は喜ぶ、こうすれば自分を可愛いと思ってくれる、という、幼児のままの小技を使って来るのだ。
もちろん、それが幼児の小技だとは、彼女は知らない。
だから、それを指摘すると、真顔になっていた。
勉強になったようだ。
その代わり、その逆の受け取り側、「こんにちは」を聞く側になった時、素直な感性は素晴らしかった。
見事に届いてこない声を選り分けていた。
しかも、それを分析していた。
こころに届いたということが、どうして分かるのかというと、その瞬間、表情や動作が変わるからだ。
判断している反応ではなく、完全にこころに響いた、つまり、繋がっているということだ。
それはお互いに、言葉にならない体感であり体験だ。
幸福感とでも言おうか。
という具合に、人はアンバランスに成長するものだ。
だから、自分の中の何か一つを成長させ、それに見合う自分に作り上げるのだ。
しかし、人は往々にして、自分の成長や、新しい発見には無頓着で、慣れ親しんだ自分に後戻りをする。
「快を求めて不快を避ける」
という、本能行動をそのまま起こすのだ。
WSでは、新しい体感が多々ある。
その新しい体感を自分のものにして、自分の全部を引き上げて欲しいのだ。
そこのキーワードは「感じる」だ。
8/28バレンシアまとめました
8/28夏合宿まとめました
8/28福岡ワークショップまとめました
8/28沖縄ワークショップまとめました

https://www.hino-budo.com/index.html
中段お知らせから入ってください。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方はどうぞ!

http://workshop.digiweb.jp/

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