なにもかも自分次第

■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日

16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/index.html
お知らせにあります

合宿が終わり、お礼のメールも届く。
しかし、杓子定規な言葉に「人」を感じられない。
そんな中「よっしゃぁ、即黒帯!」というメールが届き嬉しくなった。
抜粋すると
「…何時もは技術的な反省点ばかりが浮かぶのですが、今日は何時もの相手と練習をした時、今までとはまるで違う体の感触が忘れられず不思議な感じがしました。
…今日の練習では、今までより遥かに相手の動きを繊細に感じていたのではないかと思います。これが本当にそうだったのかは分かりませんが、今はポジティブに、「きっとそうだった」と捉えています。そう気付いた瞬間に、とてつもない感動に包まれて涙があふれてきて、シャワーを浴びながら号泣してしまいました。
……「ダメ、悔しい、何かがいけない」という単純な回路にならずに「不思議な感触」に気づけたこと、そしてもう一つは先生のおっしゃっていた「人間はスーパーマン」というように、人には計り知れないものがあるという事に、実際の練習の中でほんの少しですが触れることができ、「本当だっ!!」と驚きと感動が私の体全体に大きな衝撃を与えました。生き物すべてにその力があると思うと、ただただ「本当にすごい!」としか言いようがありません。しかも、今日の感動は氷山の一角だと思うと、これから出会えるかもしれない感動と未知の力の大きさにワクワクしてしまいます。」
これだ。
言葉を体験・体感したのだ。
もちろん、身体が自動的に感覚していることだが、そこに注意を向けなければ、永遠に闇の中だ。
メールの主は、ほんとうに体感・体験したのだ。
この一歩は、頭人間から感覚人間への転換の一歩だ。
身体が感覚したことを、頭で掴んだのだ。
つまり、本当に人は変わる、ということの一歩だ。
主は、教室に来て3年を過ぎた。
3年間続けられたから、一生続けられると言った主だ。
武道は習えない。
自分自身の手で、汗で掴み取るものだ。
方法はいくらでも教えることは出来るが、その中味は個人が獲得する以外にはない。
教室は、宿題やヒントを持って帰る場なのだ。
いみじくも伊藤一刀斎が師鐘巻自斎に
「妙とはこころの妙である以上、自分みずから悟る以外はないではありませんか。決して、師から伝えられるものではないと思います」
と語っている。
つまり、教室では悟る(気づく)為のヒントはいくらでも教える事が出来るが、悟るのはその人自身である以上、他人にはどうすることも出来ないということだ。
大方の人は、何か勘違いしていないか。
悟る(気付く)のは、自分でしかないのだ。
忘れていないか、自分が風邪で熱を出した時、誰もそれを変われないということを。
悟るに限らず、人生全てが自分次第だということを。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方はどうぞ!

http://workshop.digiweb.jp/

Follow me!