どう見られたいから、どうする

どうしたいのか、よりも、どう見られたいのか、それよりも、どう見られているのか、どう見せているのか、が大事だ。
この過程が独り善がり、自分だけの世界から、他人への表現という順序だ。
そして、実際には、どう見られているのかと、どう見せているのか、この二つが最重要事項だ。
難しく言えば、それが出来る為には、自分に対する客観的な視点が必要になる。
街を歩いていても、舞台で芝居やダンスを見ても、ここのところが欠落しているのか、練れていないのか、知らないのか分からないが、どうも弱点だ。
つまり、独り善がりの世界の人が多いということだ。
今日は久しぶりに、山田勇気君のダンスを見た。
2年前のRealContactで、一気に開花した山田君だが、その後を見るのが初めてだ。
昨年、奥さんの高原さんをRealContactマクベスで踊って貰った。
その高原さん曰く、その後の山田君は、舞台で見ると、楽しそうに感じるようになった、とのことだった。
そこも大事なところだ。舞台に立っている人間が、本当の意味での楽しさを見付けていないのだったら、観客としては全く面白くないし、見る価値など無い。
今日の山田君は、かなり無謀な挑戦をした。
客入りから舞台に立っているのだ。
これは芝居がかっていなければ、そうとうきつい。
間がもたないのだ。
そこに敢えて挑戦していた。
もちろん、その挑戦は頼もしい限りだ。
15分間後、舞台が始まった。
この難関をどう作って行くのか、本当に楽しみだった。
微細な動きを作り出し、徐々に徐々に動きの正体が見えて来る。
音は無い。
これは観客にとってもきつい。
自ずと緊張感が増すからだ。
しかし、山田君に何の気負いも感じられないのは、最高の成長だ。
そこに山田君が立っていた。
そこから展開される舞台を見ていて、改めて冒頭のことが頭をよぎっていたのだ。
もちろん、山田君のソロの良否ではない。
私なら、この動きをどう演出するだろう、という視点で見ていたからだ。
15分のソロが終わり、山田君のワークショップに来る、ダンサー達でのショーケースへと続く。
その振付に苦労の跡が見える。
短時間で、ダンサー達をいかに良く見せるか。
そこの苦渋の決断が随所にみられた。
短時間で、カッコがついているのだから、みんな大したものだ。
もちろん、駄目なところを見つけ出せばいくらでもあるが、そんなことはどうでも良い。
むろん、駄目な点は当人達が分かっている事だ。
それよりも、複雑な振付をみんなよくやったと思う。
それだけに、どう見られているのか、どう見せたいのか、ここを、一から考えなければならない、と思ったのだ。
舞台終了後、電話で高原さんと話をした。
高原さんは、踊る作品を選ぶということではなく、私の生き方がそうなっている、と言っていた。
むろん、そうなっているというのは、誰にも分からないが、生き方の延長にダンスがある、ということだ。
そんな話をすると、また面白い舞台を作りたくなる。
いかんせん、金銭的には無理がある。
ほんとは、月一回くらいのペースで、少人数の場所でやるのが良い。
山田君は、9月からノイズム2の振付演出の専任でいく。
ということは、来年に何か、だろう。
■88回武禅、参加者のレポートをアップしています。
■福岡ワークショップは7月12.13.14.15日です。
https://www.hino-budo.com/index.html
いずれも「お知らせ」からリンクしています。
■沖縄キジムナフェスタ・ワークショップ
7月20.21.22日です。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。

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