ええい、もういっちょう、何でやろ
またぶり返して「悟り」でいく。
昨日のグルジアバレエのニーナ・アナニアシヴィリ。
徹底的にクラシックバレエを追及している。
50歳の今も、「もうちょっと踊ろうかな」と話していた。
彼女はバレエというものを通して、観客に喜びを与えている。
言葉でいうには、何もかも簡単だ。
そこには計り知れない、苦労や苦悩があったことだろう。
それらを乗り越え、小さな気付きから大きな気付きを得ているのだと思う。
技術的なこと、表現として、あるいは、舞台での自己演出。
その意味でなんらかの悟りを得ているのだ。
何かを成し得ている人というのは、必ず大小の気付きを得ている。
つまり、仕事なり研究なり、何かを通して気付きを得る、何かを通さなければ、気付きは得られないということだ。
当たり前だ。気付くべき事というのは、何かに対してであって、「気付き」というものがあるのではない。
解決すべき問題があるから、それに対して答えがある、というのと同じだ。
もちろん、悟りとて同じことだ。
何かを通して、つまり、自分の進んでいる道、歩んでいる道、取り組んでいる仕事、というものがあり、そして、問題が明確だから気付く必要があるのだ。
気付くというのは、ある意味で、それまでの知識や体験が整理され、一つの言葉に統合されるということだ。
だから、「悟り」というものがあるのではない、ということだ。
それを考えていて、どうしてそれを求めるのかを考えてみた。
行き着くところは、自分の居場所であり、地位なのだろう。
それは、認められたい、褒められたいというところに辿り着いた。
しかし、自分に何の問題も無いのだから、何も得られないだろう。
それでも、もしかしたら「悟り」とは何だろう、ということを問題に持って、それが死活問題にまで発展したら、もしかしたら本当に得られるかもしれない。
人というのは、どこまでいっても計り知れないからだ。
と書きつつ、明日は早起きだ。
9時15分発の飛行機で、小川智子ちゃんの展示会に行き、その足で山田勇樹君のダンスを観る。
山田君とは2年ぶりになる。
成長した姿を見るのが楽しみだ。
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