どうすれば出来る?
「どうすれば、出来るようになるのか」この言葉には、二つの要素がある。
一つは、PCはどうすれば早く打てるようになるのか、という「どうすれば」であれば、ひたすらキーボード操作を繰り返せばよい。
どうすれば、人と視線を合わせて話せるようになれるのか、の「どうすれば」であれば、一つは、強制的に視線を合わせて話す努力をする。
一つは、どうして視線を合わせられないのかを、自分の中から探り出す、という、数稽古なのか、自分自身を探り出し、自分の質を求めるものなのか、の二つだ。
そして、この自分自身を探り出し、という中には、欲求と言うやっかいな代物がある。
自分自身に、人と視線を合わせ話をしたい、あるいは、人の視線を意識しない自分を作りたい、というようなこと。
それらは欲求である。
これが薄いのか濃いのか、という根本的な問題がある。
残念ながら、この欲求と言う事に絞ると、そこには一切の方法は無い。
諦めるしかない。
それは、自分自身が社会という集団生活の一員。
あるいは、友達と、彼氏彼女、夫婦、親子、という自分以外の他人と生活をしている、という事が希薄だからだ。
そして、社会に対しても、友達やカップル、夫婦、親子、いずれに対しても、自分の事を理解して欲しいとは思っていない、ということだからでもある。
それらは、自動的に分かってくれるものだという、無意識的な認識があるからだ。
自動的に分かってくれる、等という事は、どこを探しても無い。
「みんな仲良く」という言葉に騙されてはいけない。
仲良くなと出来る筈も無いからだ。
仲良く出来る裏付けは、他人を認識できる能力が備わってからの話だ。
だから逆に、絶対に分かってくれないもの、理解し合えないもの、というのが、人間社会の大前提なのだ。
それを全く認識しておらず「自動的に」と認識しているから、自分からの働きかけなど一切しない、影の薄い存在感の無い姿になるのだ。
ということを、理解すれば、自ずと欲求が湧いて来る。
そこだけが救いの手だ。
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