まずやれ

嫌われたくない、というような欲求。
欲求という事で言えば、人には色々な欲求があるし、日々様々な欲求が湧く。
しかし、それは妄想のようなものだ。
妄想と実際の違いは、その欲求を現実化しようと、工夫をするかしないかに尽きる。
工夫をするにしても、現在の自分とはかけ離れた工夫を考えてしまっては、当たり前だが現実化しない。
また、工夫そのものが妄想という場合も沢山ある。
人というのは、意識が発達しているから、本当にやっかいな生き物なのだ。
だから、自分の欲求を現実化できる人は、ほんとに少ないのだ。
その意味で、自分の人生は工夫をする力が、有るのか無いのかが決めている、ということにもなる。
逆に言うと、欲求という幻想に振り回されている、ということにもなる。
武禅のレポートに「細かなことだが、まず自分はこれをしたい」というのがあった。
この「細かなこと」というところが、欲求を現実化する、出来る一歩だ。
だから、この人は、何時の日かその欲求を現実化するだろうし、その後もその成功体験から自分の人生を管理できるだろうと想像出来る。
欲求を工夫することで、現実化する、という作業をしない、というのは、一つは自分が自分の人生をないがしろにしているということ。
一つは、作業をしない、ということを自分に癖付けしているということになる。
だから、切羽詰って、あるいは、やむにやまれず何かをしなければならない、ということになった時、相当「しんどい」ことになる。
となると、今度は「しんどい」という事を記憶しているから、「もう、あんなしんどいことはしない」ということになる。
いずれにしても、自分の人生は、全て自分が右に行くのか左に行くのかを決めているということだ。
もちろん、決めていないにも関らず、ある方向には進んでいるのだ。
だから、例えば、工夫をしない癖付け、しんどいことはもう嫌だ、というクセ付け。
幻想だけで終わらせるクセ付けを、自分がしているとは、全然覚えていない。
それも含めて、ある方向に進んでいるのだ。
自分がそうしなかったから、そうならなかった。
これが一番大事なポイントだ。
この年になると、そういったことを、体験的に知っている。
だから、特に若い人には口うるさく言うのだ。
「まずやれ」と。
面倒だから、と思うのは、そういう自分を作ってきたというだけの事だ。
どんなことでも、向き不向き以前の問題なのだ。
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