引き籠り的
京都でのワークショップに、役者の平岡さんの生徒さんが参加していた。
声楽の大学生2人だ。
その子達と話をしていて気付いたのは、自分のレベルというものを全く認識していないといことだ。
つまり、何時も言ったり書いたりしているように、言葉は知識があればいくらでも話せる。
それが何時しか自分のレベルを超えてしまう。
あるいは、自分の範疇を超えてしまうということだ。
つまり、自分にとって必要不可欠な知識は、絶対に必要なのだが、それは自分自身のレベルや方向が明確だから、判別できるのだ。
どれだけ批判的な事、あるいは、関係の無い事を話しても良い。
しかし、そのことを自分が認識して、話していれば問題は無いのだが、認識していないからどうしようもないのだ。
それは、この二人に限った事では無い。
そういった人は、沢山いる。
そんな、引き籠り的役者やダンサーも多い。
引き籠り的というのは、自分の頭の中の世界以外は知らない、知ろうともしない人の事だ。
自分のレベルや範疇とは関係の無い言葉を持っているということが、自分の可能性を壊しているのだとは、気付かないところに可能性が無いのだ。
あるいは、その逆に、自分にとってどんな知識が必要なのか、自分のレベルを上げる為、自分のレベルを知る為には、どんな知識が必要なのかを、全く考えないことが、可能性を壊しているのだ。
極論を言えば、自分が自分を壊し、自分が自分を放棄しているという事になるのだ。
その声楽の2人を見ていて、数年前「武禅」に参加した、同年代の一人の女性を思い出した。
現在ミュージカル劇団に所属するKさんだ。
その「武禅」の中のワークの声を届けるという時、彼女は歌を歌った。
参加者は全員その歌を知らなかったが、彼女に惹き付けられてしまった。
アンコールまで出た。
私も今でもその歌の一節は思い出す。
「~~~おそうじしましょう~~」だ。
普通なら、自然に「勝手に掃除しとけ!」と突っ込み的言葉が出るところだ。
でも、だれからもそんな言葉は出せなかった。
彼女の根っから「歌が好き」が、ビシビシ伝わってきたのだ。
その後、彼女はオーディションを受け、カンパニーに入った。
頭の中で、その2人と彼女を比較するとは無しに比較していた。
2人から彼女の様な音楽が好き、歌が好きが、全く伝わってこない。
彼女は等身大以上の話はしなかった。
それが、素直で可愛気があると写った。
大方は、どこかで道を間違えるのだ。
自分の持っている言葉によってだ。
その意味で、自分の思う世界に入れ、活躍出来る人は限られているということだ。
■88回武禅、参加者のレポートをアップしています。
■福岡ワークショップは7月12.13.14.15日です。
https://www.hino-budo.com/index.html
いずれも「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細は後日webページで