思っても出来ない
人の話を聞く、本当に聞ける。
これは先日「こころが共鳴する」と書いた。
こころの深い深いところで、溶け合うからだ。
もちろん、それは「こころを共鳴さそう」と思っても出来ない。
全身全霊で相手に向かった時に、それは起こることだ。
その全身全霊、という、集中が出来るようにならなければ、そうはならない。
多分、前頭葉を通り越したところで起こる、一種の化学変化だからだ。
これは、舞台での表現と関ってくる。
話しているつもり、聞いているつもり、二人で踊っているつもり、みんなで踊っているつもり、の舞台が「本当に」になり、ダイナミックな舞台になるからだ。
だから、「表現塾」ではこのワークが主題になる。
当然、人と直接関る職業の人や、人間関係が苦手な人必須だ。
もちろん、さっき書いたように、1週間のワークで出来るものではない。
日々の心構えと、努力が必要だ。
テクニックではなく、そんな人間にならなければ出来ないからだ。
こころのグレードアップが必要なのだ。
ここのところは、昨日の自分の中の「常識を疑え」がスタートになる。
自分の持つ、固定観念がグレードアップの、足止めをしているからだ。
余談になるが、今日のニュースでカリスマ介護士が逮捕された。
もちろん、そのカリスマ介護士なる人は知らない。
しかし、ニュース映像を見ていたら、どうしてカリスマになったのかが分からない。
というのは、この介護士の表情と目を見ていると、嘘だということが分かるからだ。
嘘だというのは、作っているということだ。
特に目は作っている、つまり、余計な力みがそこに見える、ということは、何かしらの作為があるから、作らなければいけないのだ。
作るという作業には、意識が介在しているから、不自然な力みとして現れるのだ。
相手と真正面から向かう、つまり、こころが真正面であれば、そんなことは直ぐに見えてしまうものなのだ。
人の話を聞く、も同じだ。
ちゃんと聞けるようになると、全部見えるのだ。
見抜くテクニックを身につけるのではなく、見抜ける人間にならなければ駄目ということだ。
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細は後日webページで