見たら分かる
「見たら分かるやろ」これは、小さい頃から耳にたこが出来るほど聞いてきた言葉だ。
今なら十中八九「見てます」「何を見るのですか」と質問が返って来る。
それは、自分の置かれている立場と、今の状況、それに照らし合わせれば、自分が何をすべきかが分かる、ということだ。
しかし、質問が必ず返って来るということは、自分で考えるということを、放棄して来た結果だ。
物事を考えなくても、通り過ぎる事が出来るような、家庭であり、学校であり、人間関係だということに尽きる。
自分で考えない人が増えれば増えるほど、How to本が売れる。
仮にHow to本で、何かの方法が分かったところで、その方法は自分の力で考え出したモノではないから、すぐに忘れる。
同時に、自分の力で考えない、というクセを一つ付けた事になる。
自分で考える、ということを放棄する。
そんなことは理解出来ない。
しかし、現実はそうなってしまっている。
こんな当たり前の「見たら分かるやろ」なのだが、それが当たり前では無くなっているということは、それだけ問題を解決したり、回避したり出来る人が少なくなっているということになる。
結果、精神的に病む人が増えているのだ。
物事を考えられる、というのは、思考力というくらいだから「力」になるのだ。
つまり、自分を強くする武器の一つなのだ。
それを放棄するのだから、当然弱い人間になるしかない。
「見たら分かるやろ」は、小さい頃から親から言われ続けていた。
で、見て分からなかったら、当然何をして良いのか分からない、となると、当然叱られる。
そんな家庭での躾は、社会に出てから相当の威力を発揮した。
どんな職場ででも、直ぐに何をすべきかを行動していった。
だから、どんな職場でも重宝がられたものだ。
同じように「聞いたら分かる」というのもある。
それは誰にも言われた事が無いが、「見たら分かるがあるのだから、聞いたら分かるもある筈だ」と、自分で決めたのだ。
それはジャズドラムの時に、威力を発揮した。
見て聞いて、その二つが有効に力として発揮出来たから、短期でドラミングを覚えられたのだ。
「他人に聞くな」というのもある。
それも小さい頃から言われていた事だ。
今から思えば、親は私のことをガキの頃から、一人前の人間だと認めていたということだ。
そういえば、子供に対するような、幼い言い方をされた覚えが無い。
明治初期に生まれた祖々母は、大人だったのだ。
ワークショップではこの「見たら分かる」を多用する。
自分で考えるクセを付けて欲しいからだ。
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
■福岡ワークショップは7月12.13.14.15日です。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細は後日webページで