常識を疑え

今日ちらっと本屋をのぞいたら「常識を疑う事からはじめよう」と題した本が平積みされていた。
「何や今頃」と思い、手にも取らなかった。
天の邪鬼の私は、そんなことは10代からやっていたからだ。
「何でそうやねん」どんなことにも牙をむいていた時代だ。
結果、人が話している事の大半は、誰かが言った事、誰かが書いた事、あるいは、それこそ風評だったりだ。
つまり、その人の言葉ではなく、誰かの言葉を借りているだけだ。
自分の体験から紡ぎだした言葉を使っている人など、一握りだ。
と同じように、常識とされている事は、殆ど迷信だ。
と分かるようになった。
(拙著に「常識を打ち破れ、行動を起こせ」がある)
そんなことを、中学生の頃から薄々感じていた。
体操クラブに入り、色々な練習をする。
その時、先輩や先生から教えて貰う。
どうも、その教え方に違和感を感じた。
だから、教えて貰う事を拒否した。
クラブに入った中学一年生の3人で、研究する事にしたのだ。
もちろん、手探りだが、どうなれば良いのかは分かっている。
試合で通用する演技にすれば良いのだ。
だから、そこへ行く為の道を模索したのだ。
当然、先輩や先生が指導する事とは違ってくる。
何しろ、何もできない3人なのだから。
私がリーダーシップを取り、色々とアイディアを出し、実験を重ねた。
これが出来ないということは、あれもこれも出来ない。
ではその前に何が出来ていなければならないのか。
そういう考え方だ。
という具合に、今何もできない自分、ということを基盤に置くのではない。
出来ない自分に落ち込むのは、余程暇な者か、余程頭が悪いだけだ。
落ち込む暇があったらやれ!何時も言う事だ。
そのこと、例えば鉄棒で大車輪とすると、倒立が出来なければいけない。
しかし、倒立が出来ない。
であれば、壁に向かって倒立を繰り返す。
しかし、それが出来ても、実際の鉄棒ではいきなり倒立など出来ない。
鉄棒からはね上げられなければいけない。
であれば、跳ね上げを低い鉄棒で繰り返し覚えるしかない。
つまり、この時、壁に向かっての倒立と、低鉄棒での跳ね上げを繰り返して皆で練習をしたのだ。
中一で何もできない自分、というのは頭のどこにもない。
そして、出来ない自分、など百も承知のことだから、そんなことで悩むことなど何もない。
出来ないのではなく、やっていなだけだからだ。
やれるように工夫をすれば、出来るようになるのだから。
その事を振り返ってみると、クラブでの指導は、かなり間違っていた。
遠回りをし過ぎているのだ。
その証拠に、我々はみ出し3人組は、その年の夏休みが終わった時には、大車輪も床運動の規定種目も、跳馬もきちんと出来るようになっていた。
しかし、先輩や先生の指導を受けていた1年生は、我々ほど出来てはいなかったのだ。
それが3年生になると、皆とは完全な開きが出た。
その後、そんな練習のノウハウを使って、後輩たちの中で、「こいつはいける」という者を選び指導した。
その誰もが、我々が大会で出した記録を超えていったのだ。
クラブでの練習の常識を、完全に破ったからだ。
おかげで、我々は楽しいクラブ生活を送れ、尚且つ今でもその事を基本に、物事を考える力が身に着いていたのだ。
もちろん、ジャズドラマーの時もそれが活かされたし、今、武道に取り組んでいても同じだ。
何時の世も、常識などくそくらえなのだ。
まず、自分の持っている常識を疑う事からはじめてみよう。
そうすれば、自分の人生は自分のものになっていく。
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。

詳細は後日webページで

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