結局振り出しか

改めて、高校の先生達に部活のことを聞いていると、部活そのものが難しいことに気付く。
3年という時間が区切られており、その中で何を目的として部活をするかだ。
ある学校は試合に勝つ、ある学校は、学校生活の思い出を作らせよう、とか、様々だ。
そのどれもが間違っていない。
もちろん、生徒そのものも一人一人が違うので、異なった目的をもっているだろうし、持っていない生徒もいるだろう。
いずれにしても、部活ということではなく、この年齢の時期に何を培わなければならないのか、そこを問う必要がある。
ただただ汗をかくのも良いだろう。
共に戦い、共に悔しがるというのも大事だ。
問題は、いずれ社会に出る、社会で働くということを前提に、その時期を持たせられるのか否かだ。
となると、社会で何が必要かだ。
まず「共に」ということだ。
関係性を知る、関係性を築ける、関係性の中の自分。
そういったことだろう。
そして、目的に向かう過程の重要性だ。
結果は全て時の運だ。
だから、過程が大事なのだ。
この二点は絶対に外してはいけない点だ。
そして、これらのことをくどくど説明しないことだ。
説明せずに、体感させる。
ここが教師の資質だ。
説明では知識にはなるが、身につかない。
自分の力でそのことを導きださせなければ、その力はつかない。
過保護な親、過保護な教師が、駄目な生徒、つまり、駄目な人間を作り出す元凶だ。
しかし、これは机上の空論だ。
高校生はいきなり高校生になるのではない。
中学生が高校生になり、小学生が中学生になる。
つまり、そこに一貫性がなければ、何もならない。
もちろん、その前に幼稚園なり保育園がある。
そして、産んだ親がある。
それの循環が現在だ。
となると、それに気付いたものだけが、そうなるしかない。
また、振り出しだ。
■医療や介護の現場に即したワークショップを開きます。
3月16日東京。詳しくは下のwebページで。
http://realcontact.jimdo.com/
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細は後日webページで

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