自分らしく
人の3倍4倍の汗を流して稽古をする。
おかしい。
頭の中はどうなっているのか?
単純に、自分のやりたいことに一生懸命になっている、で済ませていたが、どうもそれだけでは腑に落ちない。
確かに、そこで与えられたテーマをより正確にとか、自分のクセに注意を向けている、組んだ相手の反応を確かめている、というようなものではないことだけは確かだ。
だから、見ていてもハラハラする。
自分勝手にやりたいようにやっているだけだからだ。
本人は、稽古をやっているつもり、武道をやっているつもりだろうが、それは単なるリクリエーションだ。
自分が一人で楽しんでいるのだ。
それは、残念ながら言葉では理解出来ないのだ。
理解出来ない、というのは、もちろん、「それは自分勝手だよ」とか「リクリエーションだよ」ということは理解出来る。
しかし、自分がそうしている、ということは自分の何かが間違っているのだ、という方向への理解を出来ないのだ。
だから、もしも「もっと相手を見て」というと、相手を見ている「かっこう」をする。
それで、相手を見ていると確信しているのだ。
「確信している」のだ。
つまり、自分の行為に疑問を持っていない、持たないのだ。
だから、永久に交わることはない。
本部に来る空手の先生は、「つい最近、そうか、この考え方だったら、これは出来ない。自分のレベルが上がらなければ出来る筈は無い、ということに気付いた」と話していた。
つまり、絶対にそうならないということだ。
そういったことは、年齢として何時頃から形成されるのか、あるいは、形成という事ではなく、何かが欠損しているのか。
何かが未熟なのか。
そんなことに関心が向く。
その状態では、少なくとも私の言う、他人との関係などある筈、出来る筈も無いからだ。
好きなことをすればよいとは言うが、こういった人達は、紛れも無く自分の好きなことを一生懸命にやっているのだ。
しかも「自分なり」に、「自分らしく」、「自分色で」。
■医療や介護の現場に即したワークショップを開きます。
3月16日東京。詳しくは下のwebページで。
http://realcontact.jimdo.com/
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細は後日webページで