身体は
身体を使っての、例えばダンスや芝居、例えば、遊び、例えばスポーツ、例えば、医者や治療家、もちろん、色々な武道も。
その他にも色々身体を使ったものはある。
極論をすれば、人類は全て身体を使って生活をしているから、人類全てそうだ。
その時に、それを指導する人、あるいはコーチ、あるいはトレーナー。そういった多くの人は「身体は」と言葉を出す。
美しい身体だとか、身体性だとか、色々知的な匂いのする言葉だ。
そして、身体をどうすれば、となる。
どうしてそうなるのか?何時も不思議だし、意味が分からないから突っ込む。
本気でいらつく。
つまり、その身体は、出来上がった結果だ。
動きにしろ、身体そのものの美しさにしろ、それらは、その個人のその時点での結果だ。
決して身体だけがどうにかなって、その身体があるのではなく、その人の考え方や感じ方、感覚、生理的な何か、クセ、それら諸々、人生における時間の全てが、その結果としてその身体になっているのであって、身体だけをいじくってそうなっているのではない。
それは当たり前のことだ。
しかし、どうしても外部からいじくりやすい「身体」に注意が行く。
もちろん、現在のレベルでの変化は、身体をいじくれば出来る。
しかし、質を上げることは出来ない。
私の友人の歯科医と組んでセミナーを開いた事があった。
友人は、虫歯を根本的に治療しようと思えば、あなたの考え方などを治さなければ駄目だ、とよく言っていた。
その通りだ。
もちろん、虫歯そのものは、治療できる。
しかし、その原因は歯科医は治せない。
糖尿病で入院し、治療してもらって回復し退院するが、以前と同じ生活をしていれば再入院する。
当たり前のことだ。
身体は身体として独立してあるのではない。
その人の考え方や感性他、全てが詰まって身体なのだ。
私の教室では、武道を教えているが、稽古は考え方だと何時も話す。
その意味で、考える材料としての身体を、様々なストレッチで感覚させるのだ。
■医療や介護の現場に即したワークショップを開きます。
3月16日東京。詳しくは下のwebページで。
http://realcontact.jimdo.com/
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細は後日webページで