出来るは曲者

4月末に行う「武禅」の申し込み受付を開始しました。
「武禅」のことを書く時に、何時も書くのは、集まる人達によって、行の進行が全く変わるし、雰囲気も全く変わるということだ。
それくらい、人は人に影響を与え、与えられているのだ。
もちろん、それぞれはそんなことは分からない。
敏感な人は「何か変」とは気付くくらいだ。
友達を選べ、仲間を選べ、と私の母の年齢の人達が口にしたのは、そういった、相互に影響関係にあるからだ。
朱に交われば赤くなる、とも言っていた。
自分のことしか頭に無い人には、分からないことだ。
そういえば、ある参加者からのメッセージがあった。
それは「出来ることが目的になっていた」という内容だった。
「出来るように」という言葉や思いは曲者なのだ。
つまり、現在の自分が処理し「出来た」になるのか、現在の自分を、そんなことを苦もなく「出来る」自分に成長させるのか、という二種類あるのだ。
大方の人は、前者の処理ということが「出来た」だと思う。
だから、出来る為に「シュミレーション」をやったり、その場で「どう処理すればよいのか」にあたふたする。
ということは、その場で、つまり、その現場で起こった出来事、起こっている出来事に、即興的に対処やっているのではないということになる。
実際に起こっている出来事を、自分の頭の中の出来事にすり替えてしまっているのだ。
言わば、対処療法をどれだけ沢山覚えるのか、が目的になっているのだ。
もちろん、自分が処理できることであればそれで良い。
しかし、現実という世界、社会、人との関係では、その対処の仕方では直ぐに壁に直面する。
何故なら、現実という世界や社会、人との関係は、全て不確定だからだ。
だから、処理できてしまっている自分に、成長させなければどうにもならないのだ。
■医療や介護の現場に即したワークショップを開きます。
3月16日東京。詳しくは下のwebページで。
http://realcontact.jimdo.com/
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。

Follow me!