頭の硬さ
自分の考え方の範囲、あるいは、自分の考え方の延長、応用、ということで、新しいことを学べることを学ぶ。
しかし、そうではなく、全く自分の範疇を越えた考え方、自分にとって全く未知の考え方を学ぶ場合もある。
昔、ジャズドラムの頃、一番最初にボーヤに付いた先輩から習ったスティックコントロール。
誰しも、一番最初の印象が強いので、そのコントロール法は直ぐに身に付いた。
その先輩が辞め、次にベテランのドラマーに付いた。
その人は、先輩の延長線上にあったので、覚えやすかった。
しかし、色々有り似たような年代のドラマーと出会った。
彼のスティックコントロールは全く違った。
スティックを握らないのだ。
バディリッチの奏法だという事だった。
これには参った。
今でこそ、沢山の教則ビデオなどがあるから、取り組みやすいが、当時は彼に習うしかなかった。
もちろん、習ったからといっても出来るものではない。
数人のドラマーと、夜な夜な練習したのを思い出す。
この奏法をものにするのに、数年費やした。
今まで身に付いた奏法や癖を、一つ一つ取り除きながら、その奏法に取り組む。何だか途方も無い時間だったように思う。
しかし、諦めずに取り組んだから、自転車に乗れるように、今でもその奏法は身についている。
そのような、全く自分の範疇に無いことに取り組む精神は、いくら年齢を重ねても頭を柔らかくする。
いや、きっと柔らかいままなのだろうと思う。
その逆に、自分の出来ることしかやってきていない人は、年齢と共にその柔らかさは、全く無くなる。
新しいことには、チャレンジ出来ないのだ。
これは、どういうことなのだろう、とそんな人を見るたびに思う。
それこそ、アンチエイジングなのだが、実はそれは、常に頭を柔らかく、つまり、若い頃から柔軟な思考を持つことなのだ。