アンチエイジング
私や定年を越した人にとっては、かなり近しいテーマだ。
ほんとか?
というよりも、これは高齢者社会での、儲ける為のセールストークだ。
いや、その筈だ。
先日、当時土木のアポロ計画と言われた、東京湾を横断する道路建設に携わった人の話を見た。
御年90歳、お顔は艶々、話す口調も力強く若々しい。
どう見ても今のひ弱な60歳代の人よりも若い。
そういった人達は沢山いる。
別段、そういった凄いお仕事をされた人だけに限らない。
私の住まいである、熊野の道場。
ここは借地だ。
その地主さんも、もう90歳だ。
子供の頃から、大人に交じってお酒を飲み続け、殆ど毎日一升空けて来た。
今はそれほどではないが、2合が3合に、そして5合になるという。
身体的には一寸ハンディがある。
山仕事の時に、足長バチに刺され、片目が不自由になっている。
もう一つハンディがある。
それは10年ほど前胃ガンが見つかり、手術ということになった。
入院し開腹したが、もはや手遅れということで、医者は何もせずに早々に帰宅させた。
しかし、それから10年余り。未だに山仕事、そしてお酒をかかさない。
かかさない、というのは、5合は欠かさないということで、調子に乗れば一升は空ける。
お顔は艶々、声もしっかり、頭もしっかりしている。
一体この地主さんを、どう説明できるのだろう。
現代で言う健康的な生活などしていないのだから。
その人達は、このアンチエイジングという、セールストークに踊らされているのか、と言えば、NOだ。
そんなくだらないことに、耳を傾ける間も無いくらい、自分自身のやらんとすることに没頭して来た筈だ。
そんな、年齢以上に若く見える人の共通項はこれだ。
若く見える方法を見付けているのではなく、そんなことにはまるで興味がなく、自分の人生を全うすることだ。
また、TVでよくやっているのが、その地方の食べ物が、若々しい身体を作っている。
という持って生き方だ。
もちろん、その地方の食べ物は、身体にとって良い筈だ。
しかし、これらは要素還元主義の典型でしかない。
その地方で生まれ育った人。
生き方、その風土、人間関係、そして食べ物。
それらが相まって若々しい人を作っているのであって、その食べ物だけで作られたのではない。
つまり、因果関係だけでは言い切りないということだ。
そんなことは、一寸考えれば分かる筈だ。
それは、巷に溢れる様々な健康産業全てに当てはまる。
もちろん、それらは経済循環に貢献しているのだから良い事だ。
それはそれとして、若々しく見える事はもちろん良い事だ。
だからその意味で、精々おしゃれをしたり、食べ物や健康食品に気を使い、健康体操に精を出せば良いと思う。
そもそもの目的が「若く見える事」なのであれば、それが一番だ。
しかし、年齢を重ねて来て、その結果が「若く見える事」を目的として持たなければならないとは、何と貧弱な人生だったのだろうと思わずにはいられない。
一寸考えれば分かる筈なのだが、その一寸立ち止って自分で考える、という、自分を豊かにする作業を怠って、セールストークに振り回される自分。
では、年齢というか、今まで生きて来た時間は一体何だったのだ?
それこそ、頭は年よりも若いね、だ。
若く見えるのではなく、若いのだ。
若さ万歳!?