例外をもつな

昨日書いた地主さんの話。
人は間違いなく、素晴らしいということだ。
ただ、現代医学や健康など専門にしている人からすれば、例外ということになる。
ここが、科学的ではなく、科学と言う迷信の信者だと突っ込むところだ。
例外とか、あの人は特別、という逃げの言葉は、使っては駄目だ。
例外だとする考え方であれば、その考え方の基盤になるものが、間違っている、あるいは、許容範囲が狭いということだ。
だから、その基盤に戻って、その例外をも包含する考え方を構築しなければならないのだ。
それこそが科学的な考え方だ。
しかし、大方は「例外」という言葉で、忘れ去られてしまう。
そう考えると、おいそれと考え方を発表できないことになる。
しかし、それも間違いだ。
考え方を発表するから、それよりも深い題材や、例外に遭遇する事が出来るのだ。
ただ、その時に、素直に訂正する自分があるのかどうかだけだ。
およそ、進歩や進化とはそんなものだ。
それは個人であっても同じだ。自分の行動や、言動に例外があれば、自分の行動や言動の基になっている考え方を訂正すれば良いのだ。
そうすることで、どんどん住みやすい世界になっていく。
世界そのものを個人が動かす事も、どうすることもできない。
しかし、自分の考え方を深めたり広げたりすることは出来る。
そのことで、自分自身が住む社会が住みやすく、また、生きやすくなるのであって、住みやすい方法や、生きやすい方法を手に入れることではないのだ。
例外は無い、それが考えるキーワードだ。

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