正確は

器用な人、ということを少し書いたが、私はドンくさいから、そういった人を羨ましく思う。
もし、私がそれ程器用なら、自分が出来る全てのことで、それこそ一番になってやるのに、と思うからだ。
でも、そういった器用な人を見ていると、そんな深いところまで行ったり、行けるとは思えないのだ。
どうしてだろう。
やはり、出来てしまうから、それ以上ということは、見えないのだろうとしかいいようが無い。
本部に来る空手の部長も、そんな話をしていた。
部長もかなり器用な方で、子供の頃から何でもそこそこ出来たそうだ。
ピアノや書道他、やることの殆どは、人並み以上に出来たそうだ。
だから、柔道でも工夫をし、ある程度強くなっていったし、体格の大きい選手と当たっても動じなかったという。
その延長に空手があり、そちらも切磋琢磨しそこそこのレベルになった。
しかし、本部に通うようになって、「正確に」という事を知り、それに関しては雑だったということを知ったそうだ。
もちろん、正確にというのは、物理的に正確にであって、正確なようにや、正確だと思う、正確なつもりではない。
そうすると、身体を操作する難しさを思い知ることになる。
その事を通して、部長のように自分自身を知るのだ。
だから稽古なのだ。
100回やっても、10.000回やっても、どんなことでも同じ線を通らなければ正確とは言わない。
器用というのは、そういったところには行き着かない。
つまり、何かを極めるというところには行き難いということだ。
ということは、そのやっていることを通して、自分を成長させるというところには行かないということだ。
Webページはリニュアルしています。見やすくなったと思うので、一度立ち寄ってください。
https://www.hino-budo.com

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