稽古

やっぱり稽古は難しい。
やること、つまり、運動が難しいのではなく、その運動を指示する頭が固すぎるから難しくなるのだ。
そことの勝負が稽古だ。
しかし、大半は運動を精一杯するのが稽古だと解釈している。
若い頃は、体力を作る為にそれでも良いが、年を重ねて来ると、それは出来なくなる。
となると諦めてしまうしかない。
あるいは、権威を手に入れ、治まるしかない。
まあ、それはどうでもいいが、稽古の難しさを誰が理解すると言うのだろう。
と自分に突っ込む。
仕方がないか。
と言うしかない。
しかし、身体の持つ可能性を自分が追求してやらなかったら、一体誰がするのだろう。
もちろん、武道だけが身体の可能性を追求する方法では無い。
それぞれが、それぞれのやり方でやれば良い。
ただ言える事は、自分が思っている身体は、自分が誤解している身体だということだ。
その誤解を取って行くのが稽古でもある。
しかし、もちろん自分が誤解している身体というのは、自分がどんな誤解をしているのかを、自分の手で見つけ出すしかない。
それは、誰も他人の身体の誤解に気付けないからだ。

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