翻訳

今、フランス語で武道のことを翻訳して貰っている。
フランスは特に言葉文化の国なので、言葉の使い方は厳密だ。
何しろ、言葉で語れないものは無い、というくらいの国なのだ。
そこに、言葉では何も語れない、と真っ向から対立して指導しているのだから、相当面白い。
おかげで、フランスでのワークショップでの質問は、殆ど出なくなった。
「いくらでも説明して上げるけど、それを聞いたところであなたは何も出来る様にはならないよ」と納得させるからだ。
もちろん、それも言葉だ。
翻訳してもらうのは面白い。
私の使う言葉の意味を質問される。
私は、普段何気なく使っている言葉に限って、その意味は深い。
だから、それを改めて言語化する為に、考えなければならない。
そこが面白いのだ。
私自身の言葉も、それに連れて厳密になる。
しかし、厳密になればなる程、やることは難しくなるのだ。
実は、その言葉の厳密化の作業は、自分自身が体験の中でやらなければいけない作業だ。
そこを他人の頭、つまり、私の頭を使ってやれば、言葉は自分のものではないから、実体とは離れたものになる。
だから、自分自身の行動を通して、言葉化しなければいけないのだ。
それが稽古というものだ。
でも、私にすれば勉強になるので、考えながら「そうか、そういうことだったのか」と一人合点を得ている。

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