もういっちょう好奇心

好奇心が多すぎて、選びきれないという場合もある。
しかし、それは先日の、好奇心はキッカケということを分かっていないだけだ。
そこには取り組む為には時間が必要、という考え方が欠落しているから、どれもこれもを気分の赴くままやるだけになる。
そうすると、折角好奇心が動いたことが、上っ滑りになってしまう。
愚息が和太鼓の教室を開いている。
そこにある女性が参加した。太鼓は初めてらしいが、課題をどんどん消化していくそうだ。
だから愚息も面白がって、どんどん難しい課題を提供する。
それも消化していく。
愚息は、その女性に「これだけ最初から叩ける人に出合ったことが無い。一番最初に組んだメンバーも、最初から叩けたから、二人目や」と驚きと感嘆の言葉を言った。
しかし、「最初から出来る人を見ていると、出来ない人と比べて全く伸びが無いですが、どうですか」
と女性に聞くと
「その通りです。どんなことでも後から来た人に抜かされます」
そうなのだ。
つまり、その女性は課題が出来ることだけにしか焦点が当たっていないから、課題が叩けたらそれ以上の好奇心が湧かないのだ。
可哀想な人だ。
叩けない人は、叩けるように努力する。
そこには時間がある。
その中で、音色の違いやリズムの切れ、音楽の質等を知らず知らずの内に学んでいく。
だから、最終的に抜かされてしまうのだ。
もちろん、課題を出されてすぐにできる、という能力は素晴らしい。
折角それが出来るのだから、誰よりも早く深く進める筈なのだ。
しかし、そうは上手くいかないのが現実だ。
だから、ゼロからの発進といったのだ。
その自覚がなければ上っ滑りのまま、一生を終えてしまう。
人は、最初から何かが深く出来るのではない。
深いことに好奇心が向いて行き、深くなるように努力するから出来るようになる。
そこには、時間が必要なのだ。
ごくごく当たり前のことだ。

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