春が来れば

「春が来て夏が来る。全てはこれや」
懇意にしてもらっている、ある先生の言葉だ。
正に。
「何のことや?」と思う人は、自分の頭と体験から考えれば良い。
しかし、大方の人は、その言葉だけを考える。
そうすると、言葉と実際が離れてしまうし、とんでもない方向に進むこともある。
それは全てに共通する。
当たり前のことだが、言葉は実際を抽象化したものだ。
だから、他人の言葉は分からないのだ。
分からないからこそ、そこに会話が生まれたり、頭を駆使するから、何かが創造されるのだ。
昨日は、以前アポなしで訪ねてお留守だった先生の講演があった。
大阪へ車を飛ばし、久しぶりに「春が来て夏が来る」を聞いた。
講演の最中、その言葉を言いながら、先生は私の方を見て微笑まれた。
講演後の懇親会でも、改めて「これしかありまへんな、言葉で説明出来ないから」と大笑い。
しかし、人は答えを求める。
どうして、人はその場で考えるのか。
自分にとって意味不明の言葉は持ち帰り、10年20年と暖めないのか。
それは大方の人は、答えがあるもの、答えは理解出来るもの、答えは今の自分が出せるものだと思っているからだ。
答えは実際に体現するものであって、決して紙の上に書き出せるものではない。
全ては学校授業の延長だと思っているのは間違いだ。
思えば、今から約20年程前、講演を頼まれこの先生と出会った。
そして、色々な仕事を一緒にさせてもらった。
最初の著作「常識を打ち破れ、行動を起こせ」は、先生の口ぞえで世に出して頂いたのだ。
その時、その本を通して、準備がなければ何事も実現しない、という、これまた当たり前のことを学んだ。
自分の人生で重要なポイントになる人には、巡り会うべくして巡り会う。
それは、出会った時に瞬時に分かることもあるし、時間を経て分かることもある。
だから、出会いを大切にしなければ、見落としてしまうのだ。

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