やる気は

どんなことでも「やる気」という、形ではない、言葉でも説明しがたい何かを発動させることで、遂行させることが理想だ。
しかし、どうもその「やる気」というものを、教えて貰える、あるいは、どこかで習えるものだと勘違いしている人達が多いような気がする。
ネットで、面白い質疑を見付けた。
何でも相談掲示板のようなページだ。
ある大学生が、単位を取るのに与えられたテーマに付いて、良く知る人に向けての質問だ。
大方の答えは、懇切丁寧にそのことを説明していた。
ほんとに親切だ。…だろうか?
答えの最後の方に、自分で考えなさい、と当たり前のことが書かれてあったのでホッとした。
自分が解かなければならない問題でも、聞けば分かるという図式が刷り込まれているのではないかとさえ思う。
であるのだから、「やる気」なる得体のしれないものが、育つ筈も無いのかもしれない。
しかし「やる気」というのは特別なものではない。
人によっては、誰かに褒められたから、どこかの風景を見る事が出来るからとか、他人から見たら本当に他愛もないことが「やる気」に火を付ける。
研修産業が華やかなりし頃、この「やる気」を出す為の研修がよく行われており、私もそんな場の講師で行った事もある。
もちろん、私は「そんなもの教えるものでも習うものでも無く、自分自身がピンとくることだ」という立場だった。
どうして、「やる気」を学んだり習ったりしてはいけないのかは、単純な理由がある。
学んだり習ったりすると、それは知識の側に記憶され、決して自分の内的な何かが発動するのではないからだ。
しかし、それが起こらない場合もある。
その時は、好きであろうがなかろうが、取り組んでいる事に徹底的に付き合う事だ。
そうすることで、何かしら興味が湧いてきたり、好奇心が湧いてきたりする。
ただ、それが湧くまでどれくらいの時間がかかるのか、そこには個人差がある。
年齢が高ければ、その時間は相当かかる。
しかし、諦めずにやることだ。
その「やる気」こそが、生命力の一つの現れだからである。
つまり、「やる気」とは人間として強くなることなのだ。

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