東京稽古はじめ

今日は東京教室の稽古初めだ。
まだ正月ということもあって、人数はまばらだった。
まずは体重移動から、例によって肘の操作。
エンジン全開ではなかったが、それぞれ真剣に取り組み初めを堪能していた。
体重移動では、例えば、腕を握られていたとすると、肩も肘も緩んではいけない。
一人の女性は、緩んでしまって、体重移動の効果が腕には現れない。
「緩んだらいけないで」
と言おうとして、ハタと気付いた。
それは決して緩んでいるのではない。
もちろん、現象としては事実緩んでいる。
しかし、それは緩んでいるのではなく、全く違う事をやっているということだと気付いた。
全く違う事というのは、そこでは体重移動がテーマだ。
だがその女性は、体重移動をやっているのではなく、体当たり的に相手の人を押しているだけだ。
その体当たり的に相手を押すに、なってしまう原因を突き止めなければ、その人は100年同じことを繰り返しても、決して出来る様にはならない。
だから、「肩が緩んでいる」とか、「肘が緩んでいる」とアドバイスをし、その事が修正できたとしても、体重移動で、というテーマを身体が理解したのではない。
パーツがそれらしくなった、というだけのもので、次に現象を変えれば、たちまち出来ない。
それでは意味が無い。
だから、
「別のことをやっているよ」
という言い方に変えてみた。
それに気付くかどうかは、本人の問題だ。
だから見守るしか手はない。
そんな発見もあった、稽古開きだった。
つまり、身体操作という言葉だが、実は自分自身の思考の洗い直しなのだ。

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