一滴のお酒
ずっと書いているように、大晦日の日、30数年ぶりの友人と共に正月を迎えた。
彼との話で、中々面白い話が出た。
お酒を一口飲むと、という話だ。
その友人は、精密機器のメンテナンスを行っている。
会社で見つからなかった、基盤の異常個所を見つけるために、基盤を家に持ち帰る。
仕事が終わって、一寸一杯というつもりで、お酒をテーブルの上に置く。
基盤を見詰めながら、何気なくそのお酒を一口飲む。
しばらく基盤を見詰めているのだが、自分は一体何をしているのか分からなくなるという。
もちろん、たった一口で酔っ払う程、彼はお酒に弱くはない。
お酒を飲みながら、例えば音楽を聴いたり、TVを見たりしていたら、自分の中にどれほどお酒が入っているのか分からない。
しかし、こういった非常に集中しなければいけない事があった時は、一口でもお酒が入った時と、そうでない時はまるっきり違うということだ。
それは、自分でも思い当たる。
原稿を書こうと思っている時、もしも一滴でもお酒が入っていると、全く集中できない。
だから、全くまとまりのない、支離滅裂な事を書いてしまう。
つまり、お酒をのんで何気なくTVや音楽を聴いたりしていると、酔っている度合いを自覚できない。
集中しなければ成せない事に取り組んでいると、酔っているかどうか以前に、お酒が一滴でも入っているかどうかが分かるのだ。
もちろん、この話はお酒の話ではない。
「何気なく」過ごしてしまう日常は、焦点が無く集中されていないので、何を感じているのかも、何を見ているのかも分からない。
自分が何をしているのかも自覚できないという話だ。