2時間のタイムスリップ
昨日はある人に会いたくなり、アポなしで訪ねた。
予想通り御留守だった。
久しぶりに、大阪玉造界隈に来たので、15歳くらいまで過ごした辺りを散策した。
裏道を通り、まずは真田山公園。ここは遊び場の一つだった。
随分と、というよりも、全く様変わりしていて、「道」を思い出せなかった。
公園そのものも、整備され全く昔の面影はなかった。
しかし、所々「ここだったのでは」と昔の匂いは残っていた。
そんなおぼろげな記憶を辿りつつ、公園に向かって歩いた。
しばらく歩くと、鳥居が目に入った。
もちろん、子供の頃はそこに神社があることなど知らなかった。
三光神社という名だ。
そこに入ると、真田雪村が作った、大阪城からの抜け穴があった。
これは全く知らなかった。
もしも、それを知っていたら、きっとその穴を使って遊んでいた筈だ。
思わず、「残念」と心の中で叫んでいた。
多分、戦時中は防空壕として、使われていたのではないかと思った。
今では金網が張られた抜け穴を覗き込んでみた。
意外ときれいで規則正しく石垣が積まれていた。
そこから、私が住んでいた細工谷辺りに歩を向けた。
よく、子供の頃の道を大人になってから通ると、「こんなに狭かったのか」と思うと言う。
確かにそうだ。
単純には目線が変わったからだと思った。
つまり、身長と比例して、広く感じるのと狭く感じるのとある。
学校に通った道。喧嘩をして追いかけられた道。
おっさんに怒鳴られた道。
お婆ちゃんと行った、パチンコ屋への道。
駄弁り場にしていた銭湯への道。
それぞれ、その頃の思い出が重なって、その風景を懐かしんだ。
私の住んでいた地域は坂道が多い。
細い路地のような坂道や階段。
子供の頃は、その迷路のような路地を遊び場にしていた。
そのせいか、坂道のある場所や路地が好きだ。
パリが妙に馴染むのも、その路地や坂道が多いせいかもしれない。
などと思いながら学校へと向かった。
その時、「あっそうか」と気付いた事がある。
私は中学3年の頃の身長と余り変わっていない。
ということは、身長差、つまり、目線の高さが街を、道路を狭く見せているのではないということだ。
世界観の差が、街や道路を狭く見せているのだと気付いた。
子供の頃は、見えている世界だけが世界だった。
年を重ねるほどに、体験が重なり行動範囲も、考え方も成長する。
そのことが、道路を狭く見せているのだ。
全ては、意識の結果なのだと。
そんなことに気付きながら、生国魂神社へと向かった。
ここも、上方落語発祥の地だとは知っていたが、近松門左衛門や淀君、それに鞴(ふいご)や建築の神様が祭られているのは、知らなかった。
夏祭りには夜店で賑わっていたので、そういった場所には目がいかなかったのだ。
改めてお参りし、ラブホテル街を抜け下寺町に降りた。
思えば、真田山からこの下寺町まで行動範囲だったのは、子供にすれば相当広範囲だ。
当然、他の学校の地域にも侵入しているから、喧嘩が起っても仕方が無いな。
そんな思い出に浸りながら下寺町が文楽座に向かって歩いた。
2時間余りのタイムスリップだった。