触れる

ワークショップの「関係塾」では、「相手を動かす」「相手に動かされる」がメインになる。
相手を動かす、と指示した時、かなり粗雑に相手の人を扱う。
あるいは、その逆に怖々扱う。
そのどちらも、自分が勝手に相手を動かす、と思っているだけで、そこの接点としての動かす側の手と、動かされる側の身体に何の関係も無い。
あるとすれば、物理的に相手の身体に力が加わったということだけで、それが「関係している」ということではない。
もちろん、多くの人はそんな指摘は受けた事がないだろうが、それ程自分の手を粗雑に扱っているということだ。
もっと言えば、コップを持つ手と、相手の人に触れる手が同じだ。
もちろん、手が変わることは無いが、触れ方が変わって当然なのだが、そこに変化が一つも無い。
つまり、自分以外のものに無頓着、あるいは、無関心だということだ。
だから、手の所作が洗練されたり、その機能が発達したりしないのだ。
結果、相手の人からは「違和感」を感じられてしまい、相手を動かすということとは、程遠いことになる。
それを自覚すると、相手に触れる、あるいは、物を持つということは出来るのか、という、「はぁ~?」というような、有り得ないとんでもない問題が浮かび上がることになる。
少なくとも、自分がどうするか、どうしたいのか、ということではなく、対象のものに最大限の注意を払う、ということを日常的に訓練する必要がある。
そんな指摘を受けてみたら、自分は他人から見てどうなのか、が良く分かる。
もちろん、それが分からなければ、自分をどうするのか、は見えてこないのだ。
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
https://www.hino-budo.com/

Follow me!