言葉は思い出ではない

「練習を本番、本番を練習として」という言葉がある。
昨日の大学生の話だが、そこの監督さんは、常にこの言葉を皆に仰っている。
で、私は大学生達に質問してみた。
「本当にそうしているのですか」と。
一人の大学生が
「いや、練習の為の練習になっている気がします」と言った。
それが正直なところだと思う。
「練習を本番、本番を練習として」という言葉は容易いが、それを実際にしようと思えば大変な集中力や、想像力、そして、自分にプレッシャーをかける力が必要だ。
つまり、折角の大切な言葉は、彼らの記憶としては留まってはいるが、全く実際化されていないのだ。
そうなると、その言葉は「ことば」で終わる。
得てして言葉というものは、そういう扱いを受けるものだ。
もしも、この「練習を本番、本番を練習として」を実際化しようとするならば、その事をとことん考えなければならない。
一つは、その言葉は何を言いたいのか、に対して、一つは、その言葉を実現する為には、具体的にどうしなければならないのか。
ここを省くと、それは記憶の片隅に鎮座しているだけのものになる。
つまり、監督さんの教えが、全く届いていないという状態になるのだ。
もちろん、ここに上げた二つの問題を紐解くことは簡単なことだ。
しかし、それを自分の力でするからこそ、自分の力になるのであり、自分の言葉を実際化する能力が育まれるのだ。
もちろん、そのことは人生で二度と忘れない言葉になるであろうし、人生で活用出来る初めての言葉になるのだ。
大学生であれば、それに気付くくらいの感性は持って欲しいものだ。
頑張れ、みんな!!誰の人生でもなく、自分の人生を歩いているのだから。
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
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