じゃ「受け入れない」は?
では「受け入れない」とはどういうことなのだろう。
自分に降りかかる現実を無視する、ということなのだろうか。
もしそうだとすれば、それは現実に対して一手遅れになる。
いや、完全に他人事になる。
「受け入れる」も他人事だし、「受け入れない」も他人事だ。
つまり、そんな言葉は不要だということに尽きる。
受け入れようが、受け入れまいが、降りかかる現実は、雨のように確実に降りかかる。
であるから、現実対応の手段をどれだけ沢山持っているか、あるいは持つかということが現実的だろう。
その手段を持っているから、または、知っているから対応しなければならないことと、放っておいても良いこととを選り分けることが出来るのだ。
私の口癖は「やったらええんや」「ごちゃごちゃ言う前に行動したら答えは出る」だ。
「やったらええ」という口癖は、色々な仕事に就き、先輩達の仕事ぶりを見習って覚えたことに端を発する。
決して質問をして、頭で納得してから行動したのではない。
どだい、自分のレベルよりも高度なことは、頭で納得出来る筈も無い。
だから「考えてから」ではない。
もしそんなことをしていたら「仕事が遅い」と怒鳴られたものだ。
そんな社会の躾が、私を育ててくれたのだ。
その意味で、現代は不幸な時代と言わざるを得ない。
時代や社会が頭を納得させる事に価値を置いているからだ。
何も出来なくても、頭を納得させられたら「分かった」なのだから。
もちろん、考える力は必要だ。
自分の力で考えることだ。
「受け入れる」という言葉を使うに際して、その言葉はどういう意味を持つのか、と自分の力で考えた事があるのだろうか。
自分の力でだ。
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
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