受け入れる。何を?
色々なところでワークショップをやると、色々な言葉が飛び交う。
その中でかなり頻繁に出会う言葉がある「受け入れる」だ。
その度に「何のこと?」と聞き返す。
すると相手からは「これこれこういう現実を」とか「自分を」と言った言葉が返ってくる。
「受け入れる」という言葉は、自分を他人事のように見ているから出てくる言葉だ。
どうして、自分のことを他人事のように見る必要があるのか。
ましてや、「現実を」というのであれば、その真っ只中にいるのは事実なのだから、受け入れるも受け入れないも無い。
そのものだ。
どうしてそんな面倒な言葉を使う必要があるのか。
それが分からない。
それは、自分を混乱させる為にあるだけの言葉だと分からないのだろうか。
そして、自分とクッションを置く形になるから、現実が余計に他人事になる。
つまり、自分自身と実際がかけ離れていくということだ。
自分にとって嫌なこと、辛いこと、悲しいことに対して、特に使われているような気がする。
それらをきちんと受け止めたくない、という逃げの口実になる言葉のようだ。
それこそ、真正面から何のフィルターもかけずに感じ取ることだ。
それを後日、頭できちんと整理する。
だから、現実とかけ離れずに過ごせるのだ。
人はどんどん弱くなっていく。
頭にとって心地よい言葉ばかり追いかけるからだ。
それは現実からどんどん離れて行くこと。
現実感覚が退化して行くことだ。
いくら言葉を弄しても、現実は変わることは無い。
だからこそ、現実と正面から向かい合わなければいけないのだ。
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
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