話を聞く

20年ほど前、自分で道場を建てた関係で、木材の仕入れ業者と懇意になった。
そこの番頭さんに見込まれて、木材加工の仕事を手伝っていたことがある。
その頃の話だ。
私は友人に、その番頭さんを引き合わせたくて、ある時二人で事務所に行った。
番頭さんと3人で雑談になった。
丁度夏で、私の後ろでは大きなエアコンが、騒々しい音を立てながら、冷風を部屋に送っていた。
番頭さんは、私の前、友人は私と並んでエアコンを背にしていた。
雑談が終わり会社を出た。
その時友人が、「晃、番頭さんの声が聞こえていたんか?話は弾んでいたけど」と言った。
一瞬意味が分からなかったが、エアコンの音に会話が邪魔されて、友人には声が聞き取れなかったと分かった。
もちろん、私もエアコンの音はうるさいと思ってはいたけど、番頭さんに集中していたので、それほど邪魔ではなかった。
そして何よりも、番頭さんは私達に話そうという意思があるので、こちらに届いてくる。
それをこちらがどうキャッチ出来るのか、という問題だ。
友人は「声(言葉)」→「音(意味)」だった。
そして、「声(音量)」→「聞こえる(意味の解釈)」だ。
だから、その音は、エアコンの音とバッティングするから、聞こえないになっていたのだ。
私は「番頭さん(言葉)」→「聞きに行く(意図を汲みに行く)」だ。
つまり、現象としては、番頭さんと会話をしているのだが、そこにある目的が何なのか、何に価値を持っているのかで、声が聞こえるか聞こえないかになってしまうということの一例だ。
どうしても、この人の話を聞きたい、という積極的な姿勢。
どうしても、この人に話をしたい、聞いてもらいたい、という積極的な姿勢。
この二つがなければ、会話にはならない。
断っておくが、それらを「そうしようと思う事」ではない。
「そうなっている」のだ。
また、私は人の話を聞く時、音量ではなく音質、つまり、声質を聞く。
声質は色々あり、それこそそこには賞味期限の中味が含まれているのだが。

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