でもね、は

傾向と対策という単語は、学生の頃によく聞いた。
目の前のテスト、あるいは入試に対する言葉だ。
これはこれで非常に大事だ。
という考え方と、そんなものは必要ない、日々実力を付けていけば良いだけという考え方もある。
その二つをじっくりと考えてみると、どちらも重要だということに気付く。
どちらも重要だというのは、日々実力を付けていくというのは、目の前の結果や短いスパンでの実力が付くというのを狙ってはいない。
10年後20年後、あるいは人生の最終地点を狙ってのことだ。
傾向と対策というのは、その日々磨いていく、ということでは時間的に無理という場合に講じることになる。
つまり、この二つの考え方は、別のことではなく全体と部分ということで繋がっているのだ。
また、傾向と対策ということの中から、本質をつかみ出すということで、日々磨いていくという側の飛躍を狙える。
人生はこの二つが常に絡み合っている。
決して受験だけの話ではない。
しかし、もっと大事なのは、傾向と対策も出来ない事に対して対処する力だ。
それは火中の栗を拾うという勇気だ。
これがなければ、実際問題として、先の二つとも実現しない。
何故なら、先の二つもここで語っている言葉に過ぎず、実際はこの火中の栗を拾う勇気が、二つを支えているのだ。
つまり、常に自分という殻を破り続ける、成長し続けるということだからだ。
「でもね」という言葉を持っている人には無理だが。
そんな人は、まず自分が事あるごとに「でもね」と言っていることに気付くことだ。
その言葉が、リアルタイムで現実と向き合うということから遠ざけているのだから。
そんな日常に渇を入れるのが、私のワークショップだ。
4月20日からの京都ワークショップ
「身体と向き合う3日間」のお知らせ
https://www.hino-budo.com/2012-KYOTOWS.htm

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