稽古とは

先日稽古の出来ない人の要素として「例えば、投げ飛ばしたい、突きを相手に入れたい、相手に勝ちたい、というものだ」と書いた。
それを教室や道場で、稽古相手にやる人のことだ。
バカか?と本気で疑う。
稽古相手を投げたり突いたりして何が嬉しいのだ?
もちろん、そういう人が沢山いるわけではない。
時々いるのだ。
もう一つ稽古の出来ない人の要素として、自分の流儀に置き換えてしまう人だ。
自分の流儀に置き換えるなら、何も習う必要が無い。
そんなことも分からないのか、とこれも本気で疑う。
もちろん、出て行ってください、ということになる。
そういった稽古の出来ない人は、往々にして年齢が高い。
若い人ではまだ見かけた事が無い。
一体歳を取るとはどういうことなのか?
そんな時に改めて考えてしまう。
恥ずかしいという言葉を持っていないのだろうとしか言いようがない。
先日のドイツ人は、何を稽古しているのかを明確に理解する。
だから、稽古がしやすいのだ。
もちろん、理解は出来ても実際に出来ることは無い。
実際には出来ないから稽古になっていくのだ。
当然、いつか実現するかもしれない。
稽古とは仮説実験授業以外のなにものでも無いなのだ。

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