野放しの感性
武道やパフォーマンスの事を色々と考える日々。
ダンスに関しては、ヨーロッパでフォーサイスカンパニーやクルベルバレエ、そして芸術大学でのダンス専攻の学生達。その人達にワークショップを開く事で気付いた事。
確信した事がある。
それは、日本的に言えば稽古論が無い事、そして表現論が無い事だ。
それらは全て個人の資質に委ねられているということだ。
もちろん、それで良いと思う。
資質の有る人だけが伸びれば良いのだし、そんな人だけの舞台を見たい。
しかし、資質の有る人でもどんな能力を開花させなければいけないのかを知らなければ、またそれを知らなければより的確な表現が出来ない、観衆を魅了する事が出来ないのだ。
それを今回のワークショップでつくづく感じた。
もちろん、日本にもそういったメソッドは無い。
外国同様に、ただやみくもに「個人の個性」という名の怠惰な感性を野放しにしているだけだ。
今回クルベルバレエで振付をしたティルマン。
彼は、ヤニス達フォーサイスカンパニーのダンサー達と何ら変わらない感性を持っている。
深さに関しては、もしかしたらもっと上かもしれない。
パフォーマンスの中での静中の動、動中の静のような考え方をきちんと持っているし、その事を語る事が出来ている。
つまり、自分の舞台に対して、かなり具体的に目指す方向性を持っているということだ。
しかし、それを実現するにはどうすれば良いのかを知らない。
ただただ振付られたものを繰り返すだけだ。
だから、今回は「どうすれば」ということを徹底的にレクチャーした。
結果ダンサー達は5日間でかなりグレードアップした。
その5日間は、ダンサー達とかなり衝突した。
外国的に徹底的に突っ込んだ。
結果、自らの手で何かを獲得したのだ。
「どうすれば」というのは、そこに観客がいる、ということを大前提にしているから現れる言葉であって、観客不在のところには無い。