一緒に動く
一緒に動く。
これは自分は何時動き出したのか。
まず何時身体は動いたのか、を知っていなければならない。
もちろん、動こうという意思が働き、身体が動き出す。
しかし、意思が働いた瞬時に身体が動いたのか、それとも一瞬の間があり動いたのか。
つまり、自分がどうなったのか、を知っていなければならないのだ。
そんなことが「自分に真摯に取り組む」ということだ。
決して現象や幼い自意識を通す事ではない。
その側面が無い稽古は、私の言う武道ではない。
とはいうものの、これらは単に言葉だ。
そこが実際化することの難しさでもある。
言葉を理解できたからといっても、実際とは何の関係も無いからだ。
関係ないというのは、言葉を理解する回路と、自分が自分に指示を出す回路は異なるからだ。
逆に言えば、理解できなくても自分に対する指示の出し方で、実際化する可能性は出て来るのだ。
自分に対する指示とは、冒頭に書いたことだ。
今日の大阪教室の稽古では、こういったことが厳密に行われていた。
ただ危険なのは、単に敏感になり過ぎ、結局永久に何もできないという状態になることだ。
冒頭の事を念頭に置きながら、ザックリとその技術全体の動きも完成させていかなければならないのだ。